HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/02/06

チェリスト・原田禎夫
番外編 原田禎夫と「ガダニーニ」

今回は、連載「チェリスト・原田禎夫」の番外編として、原田氏の愛器「ガダニーニ」にまつわる興味深い話をご紹介したいと思う。

文・一志治夫(ノンフィクションライター)

 原田禎夫さんの現在の愛器は、1743年製の「ガダニーニ」だ。1985年に入手してから、30年近く原田さんとともに世界中を巡ってきた。しかし、名器を持っての移動は容易ではない。

 原田さんは、いま、フランクフルト空港をなるべく経由しないようなプランを立てて旅をせざるを得なくなっている。日本人ヴァイオリニストの高価なヴァイオリンが無申告であるとして税関で押収されてしまう事件があり、想定外の事態が起きる可能性が出てきたからだ。

 「僕も2回ぐらいフランクフルトの税関で止められたことがあるのね。僕はいつも楽器の証明書と購入証明書を持っているんだけど、それでも難癖をつけられる可能性があるから、注意しているんです。ドイツはいま税金の取り立てがすごく厳しくて、コンピュータを持った日本人のビジネスマンなんかもフランクフルトを避けていると聞いたことがある。もし僕が捕まって、払わされると、懲戒金みたいなのが加わるから、数千万払わされることになると思う」。

 それで、わざわざパリ経由でケルンまで戻って来なければならないという状況が続いているのだ。

 遡ること30年。原田さんは、アメリカ・シカゴの楽器店で、「ガダニーニ」と出会った。その頃、原田さんは、カルロ・トノーニのチェロを使っていた。これも1700年代の名器である。

 「ガダニーニ」との邂逅の情景を原田さんは忘れられない。

 「大きな店で、ガダニーニは遠くにあったんだけど、目が釘付けになり、まさに吸い込まれるように引きつけられてしまったんです。もう何台も見てきたけど、そういう経験って初めてだった。弾いてみたら、やはり素晴らしくて......。そのとき、僕は家を買ったばかりで、とても借金できるような状態じゃなかったんだけど、どうしようもなく惚れちゃったんです」。

 原田さんは、金策に走った。

 「気持ちを抑えきれなかったんです。諦めるということができなかった。ミュージシャン・ユニオンというのがニューヨークにあって、そこは利子がすごく低いんだけど、でも、簡単には金を貸してくれないんですね。もう、当たって砕けろで、申し込んだらどういうわけか10万ドル貸してくれたんです。で、結局、買ってしまった。家のローンもあったし、子どもも小さかったし、もし病気になったらどうしようという世界でしたね。家人からはものすごく怒られました。どうやって払っていこうと思ったのか、いま振り返ると自分でもよくわからないんだけど、トノーニが売れたし、なんとか手に入れることができたんです」。

 弾き始めてすぐに、原田さんはあることとに気づく。ガダニーニの一般的な特徴でもあるのだが、「A線がソプラノで、上が明るく出る」という癖を持っていたのだ。しかし、その性質は徐々に変わっていく。

 「手に入れた当初は、低音がすごい楽器ではなかったんだけど、僕が弾き始めて、低音が鳴るようになった。楽器全体の響きがすごく変わったんですね。だから、音を聞いたみんなは、『ガダニーニってこういう音がするんだ』と言いますよ。ガダニーニはわりとソロ向きの楽器なんだけど、カルテットでも使える楽器に変わっていきました」。

 20代の原田さんが最初に手に入れたのは、80万円ほどのチェロだった。N響にいた父親が定年を迎え、その退職金で買ってくれたものである。その後、アップグレードを繰り返し、ときにはアメリカの美術館からニコラ・アマティを借りたりしながら、トノーニにたどり着き、ついにはガダニーニを手に入れたというわけだった。

 「本当にラッキーだったんです。ほしくても、なかなかそういう望むような楽器に巡り会う人も少ないんだよね。本当に惚れた楽器との出会いは、僕の人生を豊かにしてくれた。すべては巡り合わせなんだな、と改めて思いました」。



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第4回 世界をめぐる「東京クヮルテット」 |  第5回 東京クヮルテットとの別れ | 
最終回 終わることのない旅 | 番外編 原田禎夫と「ガダニーニ」

~関連公演~
原田禎夫チェロ・シリーズ
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