HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/01/14

チェリスト・原田禎夫
最終回 終わることのない旅

ノンフィクションライターの一志治夫さんが、チェロ奏者・原田禎夫の音楽活動を振り返る本連載も、いよいよ最終回を迎えることとなった。長年在籍した東京クヮルテットを離れ、ソリスト・教育者として新たな人生を歩み始めた原田禎夫の"今"を紹介する。

文・一志治夫(ノンフィクションライター)

 20代のはじめから始まった原田禎夫の旅は、いまも、途切れることなく続いている。文字通り、世界を巡る旅である。

 10年におよぶドイツ・トロッシンゲン音楽大学での教員生活は定年を迎えたものの、上野学園での授業は続き、各地での演奏会ももちろん絶えることはない。

 ただ、原田さんは住居のベースをいまなおドイツに置いているため、レッスンやコンサートの都度、帰国しなければならない。拠点を日本に移すことはないのだろうか。

 「僕はもう40何年、外国生活なんですよね。だから、日本に戻って来て、日本で日常生活をしながら音楽をやるということが僕には考えられないんです」。

 そして、その理由を原田はこんな一例を挙げて説明した。

 「たとえば、日本の駅では、後ろに下がれとか、忘れ物をするなとか、いちいちアナウンスが流れるでしょ。天気予報を見れば、『ちょっと寒いからコートを持って行った方がいい』、とかやっている。子ども扱いするんじゃないよって思う。日本ではなにか、人間をどんどん脆弱にしているような気がするんです。ドイツじゃそんなことはありえない。個人の責任だから。日本は大人に対しても手取り足取り。幼児化が進んでいるんです。だから、音楽の世界でも、芸術の世界でも、日本人はみんな弱くなってしまったんだと僕は思う」。

 「逆に」と原田さんは続ける。

 「僕は野球が好きだから思うけど、メジャーに行って残った日本人選手はみんな顔つきがよくなっているよね。言葉で苦労して、ケンカして、どんどんたくましくなっていく。ただ、若い音楽家は、日本が便利すぎちゃって、ヨーロッパに行っても、コンビニがないとか文句言ったりしているって聞いた。骨を埋めてやろうという覚悟で行く人が少ないように思う。もちろん、頑張っている子もいるし、特に女子はたくましくやっている人はちゃんといるんですけど」。

 原田さんがドイツに居続ける理由は他にもある。住環境を含めて、クラシック音楽をやるには、ドイツの方が適していると感じているのだ。

 原田さんの住まいは、ケルンからデュッセルドルフに向かう途中の小さな街にある。1890年頃に建てられた邸宅の1階を借りている。50坪余りと広いが、家賃は10万円台。高台にあり、裏は森という素晴らしい場所で、映画のロケに使われたこともある。

 「言葉や生活は不便ですよ。だけど、世の中は、便利さが逆に不便にしちゃっているところもあるし、僕にとって何がプライオリティかと言えば、やっぱり、音楽なんです。家の天井の高さは5メートルぐらいあるんだけど、ここでさらうと音がよすぎるぐらいによく聞こえる。よすぎて困るぐらいなんだけど、余計なことを考えずに音楽に没頭できる場所なんです」。

 東京クヮルテットを退団して早15年。2014年が明けて、原田さんは70歳を迎えた。けれども、音楽に対する学びの姿勢は一向に失われていない。

 「カルテットを30年間やってて、やっぱり、辞めた途端にすごい不安がありましたよね。絶えず仲間がいて、一緒に勉強をやってきた世界から、自分ひとりで何かを築いていかなきゃいけないという不安。カルテットという音楽のエッセンスみたいなところを離れて、何かやるのはちょっと虚しいというか、それを乗り越えるのにかなり時間がかかったんです。

 4人でいいものをつくってきて、それに対してお客さんが感動してくれるという達成感をずっと味わってきていたわけです。これは僕だけの実力ではできないというのはよくわかったし、ひとりになってある種の虚しさが生まれたんですね。

 でも、いまになって、少しずつ、ああ、これもおもしろいというか、ああ、これも音楽だというふうに思えてきた。結構時間がかかりましたね。カルテットという一番いいものをやっちゃって、そのあとひとりで違うことを始めて、そのギャップがちょっときつかったんです。メンタルなものを乗り超えて、自信を持ってやっていこうとなるまでに、すごい時間がかかってしまった」。

 そして原田さんは70歳を前にしてこう語った。

 「やっぱり、いい仕事をしたいし、この前、ピンカス(=ピンカス・ズーカーマン)とツギ(=徳永二男)ちゃんを見ていて、まだまだ勉強しないといけないなと思った。ふたりとも、メンタルがすごいタフだなと思う。それを見ていて、僕ももう1回気を入れ直して、チャレンジしてみようかなという気持ちになった。

 上手い人とやると刺激になる、というと語弊があるけど、やっぱりそういうところはあるんです。それは、いくつになっても同じだと思う。自分の世界をなるべく上げたいというか、名声とかそういうことじゃなくてね。音楽家としてそういう思いはずっと持っていたい」。

 原田さんは、自由時間には何をしているんですか、と訊くと、こう答えた。

 「フリーのときは練習してますね。それがすごく楽しいんです。(ドイツの自宅の)部屋も響くし、集中できるし、結構やっています。あとは、将来的には、絵を描きたいというのが夢なんだよね。だから、いま、デッサンもしたいなと思っているんだけど、意外と時間がないんです。カルテットのときはスケッチブック持ってね、結構デッサンしていたんだけど。最終的には、いつか油絵をやりたい。それが夢なんです」。



第1回 恩師・齋藤秀雄 |  第2回 「東京クヮルテット」誕生前夜 |  第3回 「東京クヮルテット」デビュー! | 
第4回 世界をめぐる「東京クヮルテット」 |  第5回 東京クヮルテットとの別れ | 
最終回 終わることのない旅 | 番外編 原田禎夫と「ガダニーニ」

~関連公演~
原田禎夫チェロ・シリーズ
【2014】
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【2012】

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