HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/03/14

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
作曲者の声とトークを、音楽の中に聴く

文・オヤマダアツシ(音楽ライター)

 いろいろな音楽家にインタビューをさせていただくとき、特定の作曲家が話のテーマになっている場合なら、必ずたずねることがある。
「もし、今ここに彼(作曲家)が現れたら、どういう言葉をかけましょうか」。
 その答えはさまざまだが、チェリストのピーター・ウィスペルウェイにJ.S.バッハ作品(無伴奏チェロ組曲)のことをうかがった際、彼はこう答えてくれた。「彼の声を聞きたいですね。どういったトーンで、どういった話し方をするのか知れば、自分の演奏が大きく変わると思うんです」

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これまでの公演より


 やや意外ではあったが、なるほど!と納得するだけの説得力がある回答だ。楽器という道具をいかに自分と同化させ、自分が歌う代わりに楽器が歌うような音楽を奏でることは、ウィスペルウェイにとってひとつの課題なのだろう。そういえば筆者もJ.S.バッハの無伴奏作品(チェロ組曲や、ヴァイオリンのソナタとパルティータなど)を、一人芝居や落語に置き換えて考えることがある。

 とするなら弦楽四重奏とは、4人集まっての寄り合いか議論か(4人組のボーイズ漫才か、などとは言うまい)。誰だったか「弦楽始終相談」という字をアテていた音楽家もいらっしゃったのを思い出す。音楽を長く聴くうちにさまざまな知識を得てしまうと、演奏を聴きながら「音楽的な解釈は、ベートーヴェンの精神性は、第1楽章第2主題におけるヴィオラのアーティキュレーションは......」などということばかり考えてしまい、4人が楽器を使って白熱の議論を繰り広げていることなど、思いもよらなくなってしまいがちだ。

 ベートーヴェンはヴィオラを演奏したようだが(愛用の楽器が残されている)、そのパートからはベートーヴェンの声やトークのイントネーションがうかがえるだろうか。ブラームスのヴァイオリン・ソナタや、ドビュッシーのチェロ・ソナタは作曲家の声を反映しているだろうか。その答えは、ご本人にお会いできる日がこないとわからないのだが。


~関連公演~

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