HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/03/07

リヒャルト・シュトラウス~マラソン・コンサートの楽しみ方

文・広瀬大介(音楽学、音楽評論)

 19世紀後半から20世紀中頃にかけて85年もの長命を保ち、晩年に至るまで指揮に、作曲に、たゆまず活動し続けた「音楽家」リヒャルト・シュトラウス。これだけ長期間にわたって活躍していると、作曲家としての活動を知るだけでも、実は結構難しい。オーケストラのファンは交響詩「だけ」を聴くのが常であろう。オペラのファンもせいぜい頻繁に上演される3~4演目を愉しむに過ぎない。シュトラウス作品と言えば巨大オーケストラと派手な効果、というイメージが先行しがちではある。

 もちろん、そういう大規模な作品が数多く演奏されるようになった現状は、シュトラウス作品を心より愛するファンのひとりとして、誠に喜ばしいことではある。だが、それではシュトラウスの魅力のごく一部を知ったに過ぎない、ということは強調しておきたい。今回のマラソン・コンサートのいちばんの注目点は、中規模、あるいは数人のアンサンブルという編成においても、あるべきところにあるべき音を配していく音楽の「職人」シュトラウスの醍醐味を満喫できる、という点にこそある。本欄では、まるごと一日シュトラウス三昧なこのイヴェントの中から、特に筆者が「この機会に聴いていただきたい!」というお薦め作品をセレクトしてご紹介する。

第Ⅱ部から
メロドラマ《イノック・アーデン》op.38

 クラシック音楽において、その演奏の伝統がほとんど絶えようとしているジャンルがあるとすれば、それはメロドラマであろう。決して、一般的な日本人がこの言葉から連想するような、愛憎に満ちあふれた昼間のテレビドラマのことではない(!)。

 ドイツ語圏における「メロドラマ」とは、19世紀に流行した伴奏による語りを伴った朗読劇、すなわち「旋律(メロディ)を伴った劇(ドラマ)」を意味する。演者一人とピアニスト一人という上演形態では、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームスなどが名作を遺したが、残念ながら現在ではほとんど演奏される機会がない。

 だが、シュトラウスが、イギリスの詩人アルフレッド・テニスンの手になる朗読劇《イノック・アーデン》に曲をつけた作品だけは、けっして上演回数は多いとは言えないものの、いまなお演奏され続けている。すでに《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》(1895年)や《ツァラトゥストラはこう語った》(1896年)などの交響詩を世に問い、音楽の力でドラマを描くことのできる手腕を見せつけていた壮年期のシュトラウス。その彼が《イノック・アーデン》に目を付け、アドルフ・シュトロットマンのドイツ語訳に付随音楽を作曲したのも同じ時期であった。作曲は1897年2月、初演は3月。シュトラウスはミュンヘン宮廷劇場の総支配人であり、優れた俳優でもあったエルンスト・フォン・ポッサルトとともにこの作品を携えて、ドイツ各地を回っている。

 なによりも、伴奏のピアノが、交響詩にも勝るとも劣らぬ雄弁さを持ち合わせていることこそ、この作曲家の「職人」的能力を証明している。前奏曲、ピアノの伴奏で描かれるのは、うねる海の波。やがて、朗読で紹介される三人の登場人物は、順にライトモティーフとともに紹介される。「港きっての器量よし、まだ小娘のアニー・リー」は六連符の転がるような快活な動機(ト長調)。「粉屋のひとり息子」フィリップ・レイは落ち着いた雰囲気ながらも高貴さすら漂わせる(ホ長調)。「親を失くした」イノック・アーデンを描く半音を含む跳躍には、傲岸不羈な主人公の力強さすら漂う(変ホ長調)。まさにシュトラウスが得意とした、音楽の響き・性格による描き分けが、このジャンルでも見事に機能している。

第Ⅳ部から
歌劇《カプリッチョ》op.85より 序曲(弦楽六重奏曲)
歌劇《カプリッチョ》op.85より 舞曲(クラウス編)

 シュトラウスが生涯のうちに作曲したオペラは計15作。1941年に作曲、42年に初演された《カプリッチョ》は、作曲年代から考えると最後の作品にあたる(初演の順は《ダナエの愛》が後になった)。

 シュトラウスの最後のオペラであり、自身が「遺言」とまで表現した、もっとも思い入れの深いオペラとなった《カプリッチョ》。その構想は《無口な女》を作曲している1934年にまで遡る。次に作曲するオペラの構想を考える中で、《無口な女》の台本を得たオーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクは、ジョヴァンニ・バッティスタ・カスティの台本にアントーニオ・サリエリが作曲した《はじめに音楽、それから言葉》のことに触れ、これを現代風に翻案できないかとシュトラウスに提案した。

 結局、ツヴァイクとはこのアイディアを実現するには至らなかったものの、この草案は作曲家の心にとどまりつづけた。それはシュトラウスが、オペラにおいて音楽と言葉のどちらが優位を保つべきかという問題を扱う、「オペラの創作過程を描くオペラ」を作ることによって、自らの芸術的な立ち位置を世に遺しておきたい、と考えたからでもある。これは、ますます破滅的な様相を呈していく世の中において、やがて破壊されてしまうであろう「昨日の世界」を、シュトラウス自身も遺しておきたい、という切なる願いが、また異なったかたちで現れた、とも考えられよう。

 舞台は1775年のパリ。グルックが標榜する「改革オペラ」と、旧来のオペラに固執する作曲家ピッチンニ一派との論争が始まった頃に設定された。今回演奏される二曲は、いずれも劇中で登場人物たる作曲家フラマンによる《作品》として演奏されるもの。弦楽六重奏は、かなり規模の大きなABAの三部形式(それ故に舞台監督は退屈のあまり寝てしまうのだが......)。舞曲は(18世紀後半としてもやや時代遅れの感がある)バロック風の味付けで、パスピエ、ジーグ、ガヴォットはきちんと様式に従い作曲されている。シュトラウスが、フランスのバロック音楽に対して相応の知識と敬意を払っていたことは、モリエールの《町人貴族》付随音楽や、クープラン組曲などでも推し量れよう。もっとも、それらを下敷きにしているとは言いつつも、シュトラウス風の味付けは随所に施されており、過去と現在を結ぶハイブリッドな音楽こそ、「職人」シュトラウスの面目躍如たるところ。

第Ⅴ部から
《あおい》、《憩え、わが魂》op.27-1、《4つの最後の歌》

 第Ⅴ部で披露される歌曲のうち、《4つの最後の歌》は、オーケストラ歌曲の中でももっとも著名な、透徹した美しさを湛えた名曲として演奏機会も増えている。ただ、「最後」とは謳っているものの、ソプラノ歌手マリア・イェリツァに献呈され、その死まで公表されなかった歌曲《あおい Malven》が、完成された作品の中では本当に「最後」であったことも知られるようになってきた。

 だが、この二つの曲の間に、なぜ1894年作曲の《憩え、わが魂》が挟まれているのか、不思議に思われた方も多いのではないだろうか。人生の黄昏を思わせるこの曲に、同じ主題を有する《4つの最後の歌》に通じ合うものがあるのは確かだが、はて......。

 実はシュトラウスは《4つの最後の歌》の作曲と同時期に、この作品にオーケストラ編曲を施しているのである。シュトラウスはこの《憩え、わが魂》を新作と合わせ、《5つの最後の歌》にしようとした形跡があるのだ。現在の形態で出版されたのは作曲家没後のこと。今回はあえてその「幻の5曲目」も含めたかたちで、シュトラウスが最後にたどり着いた「死」の風景を追体験していただきたい。



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