春祭ジャーナル 2013/02/20
ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
ロベルト・シューマン:音楽と文学の融合
文・後藤菜穂子(音楽ライター)

ロベルト・シューマン(1810-56)



シューマンはドイツ東部、ライプツィヒの70キロ南に位置するツヴィッカウという街で、5人兄弟の末っ子として生まれました。父親が同地で書籍商を営んでいたことから、ロベルトは子供の頃からロマン主義文学の強い影響を受けて育ったのでした。
文学とともにシューマンを子供の頃から魅了したのは音楽でした。よく知られているように、彼は一時期ピアニストを目指し、ライプツィヒの有名なピアノ教授のフリードリヒ・ヴィークの門を叩きますが、指を痛めてピアニストとしての道を断念、作曲に力を入れるようになります。それと同時に、文学への憧れも断ちがたく、音楽雑誌を立ち上げるなど評論活動も行ないました。

もうひとつ、シューマンの人生に決定的な影響を与えたのは、ヴィーク教授の娘、クララ(1819-96)との出会いでした。クララはロベルトより9歳年下でしたが、ピアノの腕はすでに彼をはるかに上回り、コンサート・ピアニストとしてのキャリアが期待されていました。しかし恋に落ちた二人は、ヴィークの激しい反対を押し切って1840年に結婚します。
この年、ロベルトはクララへのあふれる愛を表現すべく、125曲もの歌曲を作曲しました。彼の代表的な歌曲集《詩人の恋》をはじめ、《女の愛と生涯》





しかし幸せはいつまでも続きませんでした。やがてシューマンは精神の病に侵され、1854年にはライン川に身を投げ、一命は取り止めたものの、ボン近郊の精神病院に収容され、ここで生涯を閉じました。8人の子供とともに残されたクララは、ピアニストとしての活動を続けながら、夫の音楽を後世に伝えていったのです。
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