HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2019/01/29

3幕のロマン的オペラ
リヒャルト・ワーグナー《さまよえるオランダ人》
~ストーリーと聴きどころ

文・北川千香子(慶應義塾大学准教授)

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序曲

 耳をつんざく風音のような弦楽器のトレモロのなかから、ホルンとファゴットによる力強い「オランダ人の動機」が現れる。それに続いて、半音階の迫り来るような動きが、大海原に吹きすさぶ嵐とうねる波を生々しく描き出す。やがて嵐が静まると、永遠の放浪から解放されたいというオランダ人の希望を象徴する「救済の動機」が木管によって奏でられる。この動機は序曲の終盤で「愛の誠の動機」と呼ばれる旋律と一体となってクライマックスに至り、序曲を締めくくる。

第1幕

 ノルウェーの海岸。ダーラントの船が嵐を避けて、たった今、岸にたどり着き、錨を下ろしたところである。「ホヨヘー! ハロへー!」と独特のかけ声とともに仕事歌を歌いながら、水夫たちが忙しく立ち働いている。船がたどり着いた場所を見定めたダーラントは、他の水夫たちを休ませ、舵取りに見張りを任せて、自らも船室へと入る。舵取りは眠気を払おうと恋人を想いながら歌っているが(舵取りの歌)、やがて眠り込んでしまう。

 海が再び荒れ始め、黒いマストに真っ赤な帆を張った幽霊船が近づき、ダーラントのノルウェー船のそばに錨を下ろす。その船から現れたのは、スペイン風の黒い服に身を包んだ、青ざめた顔のオランダ人。彼は7年の歳月を経て再び陸に上がることを許された感慨と、恐るべき呪いを課せられた身の上を独白する。かつて神に対して不遜な言葉を口にした彼は、救いを求めて永遠に航海しなければならないという悲惨な運命を背負っていた。唯一の望みは、一人の女性が彼に永遠の愛を誓うこと。7年の時を経て、ようやくその時機がやってきたのだ。しかし、女性の貞節を信じては裏切られてきたオランダ人は絶望に打ちひしがれ、世界の破滅とともに我が身の永遠の滅びを求め絶叫する(オランダ人のモノローグ)。

 船室から出てきたダーラントは見知らぬ船に目をとめ、オランダ人に呼びかける。ここから二重唱の形で対話が展開する。オランダ人はダーラントに、一夜の宿を提供してくれれば、船に積んである財宝を代償として差し出すと申し出る。オランダ人が花嫁を探していることを知ったダーラントは、富をもったこの男こそが娘ゼンタの婿にふさわしいと考え、彼を家に迎えることを約束する。こうして二人の船は、ダーラントの家への帰路を急ぐ。

第2幕

 ダーラントの家の広間。暖炉の周りで、娘たちが航海中の恋人たちに思いを寄せながら糸を紡いでいる(糸紡ぎの合唱)。しかしゼンタはひとり、壁に掛けられた、伝説のオランダ人の肖像画をうっとりと見つめるばかり。娘たちに促され、ゼンタは昔から乳母のマリーに聞かされていた「さまよえるオランダ人」の物語を歌う。不気味な「オランダ人の動機」が低音で現れ、3連からなる物語詩が始まる(ゼンタのバラード)。まずは呪われた男の壮絶な航海の様子が、オーケストラのリアルな表現とともに描写される。一段落すると「救済の動機」が現れ、死に至るまで誠をつらぬく女性による救済の希望が歌われる。次の連では、男が呪われるに至った経緯が、最後の連では、女性の愛に救いを見出しつつも裏切られてきたオランダ人の絶望が歌われ、最後には、自分こそが彼を救う者だと熱烈に宣言する。このバラードはドラマのその後の展開を予示するとともに、ドラマ全体を圧縮したものにもなっている。そのためもあって、ワーグナーはこのオペラ作品全体を「劇的バラード」と表現した。

 「ゼンタのバラード」の後、婚約者のエリックが登場し、ゼンタに父ダーラントの帰港を知らせる。彼は、不吉な歌を歌ったゼンタをなじり、彼女の父親に婿として受け入れてもらえないのではないかと不安な胸の内を告白する。さらに彼は、見知らぬ男がやってきて、ゼンタとともに海の上へと消えていくのを夢に見たと、悪い予感を語る(エリックの夢)。しかし、彼の悲痛な訴えも、上の空のゼンタの心には届かず、彼は堪えきれず、その場を走り去る。

 そこへダーラントがオランダ人を伴って登場。壁の肖像画からこの見知らぬ男に視線を移したゼンタは驚き、その場に立ちつくす。豊かな富をもった理想的な婿がやってきたと機嫌よく歌うダーラントをよそに(ダーラントのアリア)、二人は片時も視線をそらさない。ダーラントが気を利かせてその場を去ると、オランダ人とゼンタの長い二重唱が始まる。運命的な出会いに二人の気持ちは次第に高まっていき、ゼンタは彼に永遠の愛を誓う。二重唱が頂点に至ったところでダーラントが入ってきて三重唱へと発展し、婚礼を祝うために一同は退場する。

第3幕

 岩の多い海岸の入江。ノルウェー船と幽霊船が隣り合わせに泊まっている。ノルウェー船の水夫たちは帰郷の喜びに浮かれ、足踏みしながら陽気に歌っている(水夫の合唱)。そこに娘たちも加わり、賑やかな宴となる。それとは対照的に、幽霊船は暗くひっそりと静まり返ったまま。水夫たちが幽霊船に向かって、仲間に入るよう何度も呼びかけるが、反応はない。彼らが調子に乗って挑発し始めると、静かだった幽霊船から次第に不気味な声が聞こえ、それまで姿の見えなかった船員たちが青白い光に照らされてその姿を現す。暴風が吹き荒れ始め、水夫や娘たちが恐れおののきながらその場から逃げ出すと、幽霊船から恐ろしい哄笑が響き、たちまち以前どおりの静けさに包まれる。

 ゼンタが館から出てくると、彼女を追ってきたエリックが、見知らぬ男を花婿に決めたダーラントとゼンタを罵る。彼女は内面で激しい葛藤とたたかいながら、自分には果たすべき崇高な義務があるのだと言って取り合わない。彼は、かつてゼンタが自分に愛の言葉をささやき、貞節を誓った時のことを彼女に思い出させようとする(エリックのカヴァティーナ)。

 二人のやりとりを物陰から盗み聞きしていたオランダ人は、またしても愛を手に入れることができなかったのだと誤解し、海へ戻っていこうとする。彼を押しとどめようとするゼンタ。ゼンタの破滅を止めようとするエリック。オランダ人は追いすがるゼンタに、永遠に呪われた幽霊船の船長であると自らの正体を明かすやいなや、再び船へと乗り込み、海へと去っていこうとする。みながゼンタを引き止めるが、彼女は制止を振り切って、オランダ人への永遠の愛の証として海に身を投げる。すると幽霊船は一瞬にして砕けて沈み、抱き合った二人の神々しい姿が光に包まれながら、天へと昇っていくのであった。



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