HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2011/10/28

作品解説:ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ

Beethoven(1770-1827):10 Sonatas for Piano and Violin

文・佐藤康則(音楽評論家)

Ⅰ 大変貴重な機会

 大方の人にとっては、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタと言っても、《春》や《クロイツェル》くらいしか馴染みがないことだろう。この2曲以外でよく演奏されるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタといえば、「ハ短調」の『第7番』と軽快で親しみやすい『第8番』くらいではないだろうか。筆者も『第1番』や『第10番』のソナタを最後に演奏会で聴いたのがいつだったか、すぐには思い出すことができない。

 いずれにせよ、生でベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを全曲聴くには相当な努力が必要なことは明らかだ。それだけに、今回の漆原啓子さんと練木繁夫氏による《ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏》という試みは、大変に貴重で意義深い。こんな機会はそうそうあるわけではない。お二人の勇気と才能に、そしてそれを可能にした情熱と体力に、まずは大いなる感謝を捧げよう。

Ⅱ 「ヴァイオリンの助奏を持つピアノのためのソナタ」から「ヴァイオリン・ソナタ」へ

 モーツァルトの時代には、今日「ヴァイオリン・ソナタ」と呼ばれているもののほとんどは、鍵盤楽器にヴァイオリンの助奏が付いた程度のものだった。ヴァイオリニストとピアニストが対等の立場で音楽を作り上げていくのが当たり前のこととなったのは、古典派からロマン派へと時代が移り行く中で、多くの作曲家が人間精神の営みをより深く表現しようと不断の努力を続けた結果である。もちろんそれは、ベートーヴェンが人生を賭けて取り組んだ課題でもあった。

 ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲を通して聴くということは、一人の音楽家がどのように自己の精神と向き合い、どのようにそれを音楽に昇華させていったかということを目の当たりにする、またとないチャンスなのである。

Ⅲ 作品12の3曲 『第1番 ニ長調』(op.12-1)、『第2番 イ長調』(op.12-2)、『第3番 変ホ長調』(op.12-3)

 この3曲は1797年から98年にかけて作曲され、当時ウィーンの宮廷作曲家、宮廷楽長として名声を欲しいままにし、ベートーヴェンを始めとする19世紀の作曲家にイタリアオペラの書法を伝えて大きな影響を与えた、アントニオ・サリエリ(1750~1825)に捧げられている。ちなみにモーツァルトを毒殺したのではないかと言われているサリエリだが、どうやらそれは冤罪のようだ。

 3曲とも、急(ソナタ形式)-緩(三部形式)-急(ロンド形式)というウィーン古典派の伝統に忠実な構成を取っており、モーツァルトの影響が顕著である。

『第2番 イ長調』(op.12-2)
 最初に作曲されたのは、おそらく『第2番』のソナタだろう。3曲の中ではもっとも習作的な要素が大きく、主題の構成もよく言えば若々しいが、他の2作に比べて平凡で迫力に欠けるのは否めない。だがベートーヴェンのメロディ・メーカーとしての豊かな才能の片鱗は十分に発揮されており、とりわけ第1楽章、第1主題の生気溢れる響きは魅力的だ。

『第1番 ニ長調』(op.12-1)
 『第1番』は、『第2番』に比べると著しく「ベートーヴェン的」だ。第1楽章のヴァイオリンとピアノの力強い同音で始まる第1主題からして、いかにもベートーヴェンの音楽らしい響きだ。第2楽章の変奏曲の構成も巧妙で、対位法的手法と相まって完成度は格段に高い。ヴァイオリンの扱いはまだぎこちないが、同時期に作曲された『ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》』(op.13)と比べてもなんら遜色がない出来栄えだ。

『第3番 変ホ長調』(op.12-3)
 『第3番』になると、構成はさらに一段と大きくなる。主題の対比も巧みで表現の幅も広がり、わずか数年間のベートーヴェンの作曲技法の進歩の大きさに驚かされる。変ホ長調という調性は《皇帝》や《英雄》と同じだが、ヴァイオリンにとって決してやさしい調性ではない。しかしそれだけに、柔らかな含みのある響きが生まれ、豊かな感情表現が可能になっている。人間には誰でも飛躍の年というものがあるが、彼にとって1797年から99年にかけての数年がそれに当たるのだろう。1800年にはいよいよ『交響曲第1番』(op.21)が作曲される。そして耳の病気を自覚するのもこの頃である。色々な意味でこの曲は、作曲家としてのベートーヴェンにとって一つの転換点となった作品だ。

Ⅳ 作品23と24のペア 『第4番 イ短調』(op.23)、『第5番 へ長調』(op.24)

 当初この2作品は、op.23-1、op.23-2と名づけられていた。2曲とも1801年に出版され、当時のウィーンでもっとも有名な音楽愛好家であり、ベートーヴェンの庇護者でもあった、モーリッツ・フォン・フリース伯爵に献呈されている。『ピアノ・ソナタ第14番《月光》』(op.27-2)が作曲されたのとほぼ同時期だ。この頃、彼の耳はますます悪くなっており、1802年10月6日には有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれることになる。

『第4番 イ短調』(op.23)
 『第4番』では、それ以前の作品と比べてますますベートーヴェンらしさが表に出てくる。モーツァルトやハイドンの影響からほぼ抜け出し、ヴァイオリンの技術的な扱いにも慣れ、展開部の作曲技法の進歩とも相まって、より幅の広い感情表現が可能になってきたのだ。この曲は他人の模倣から完全に離れて彼独自の音楽を創り出していく、言わば出発点となった作品である。やり場のない怒りをぶつけるかのような第1楽章の第1主題、第2楽章のユーモラスな展開と第3楽章の悲劇的な色調のコントラスト。当時のベートーヴェンの鬱屈した不安定な心理状態をうかがい知ることのできる作品である。

『第5番 へ長調』(op.24)
 『第5番』のソナタは、《春》という名前の由来ともなっている初々しい第1楽章のテーマを始めとして、全編軽やかで美しいメロディが散りばめられ、ベートーヴェンの持って生まれたメロディ・メーカーとしての才能が遺憾なく発揮されている。『第4番』よりかなり早い時期に構想されたと言われているが、曲の構成も3楽章から4楽章へと拡大され、洗練された展開部の扱いとも相まって、見事な統一感を感じさせる作品となっている。《春》というタイトルは彼の死後に付けられたものだが、この曲を聴く者なら誰しも感じるであろう、新緑の鮮やかさや頬を撫でる春風の心地よさがよく表現されたネーミングだと言えよう。

Ⅴ 作品30の3曲 『第6番 イ長調』(op.30-1)、『第7番 ハ短調』(op.30-2)、『第8番 ト長調』(op.30-3)

 この3曲の作曲年代は正確にはわかっていないが、一般的には1802年と言われている。『ピアノ・ソナタ第17番《テンペスト》』(op.31)、『交響曲第2番』(op.36)が書かれた年でもある。3曲ともロシア皇帝アレキサンダーⅠ世に捧げられているが、献呈時には代金を払ってもらえず、12年後にウィーンを訪れた皇后エリーザベトが代金の30デュカーテンを支払ったという話は有名だ。

『第6番 イ長調』(op.30-1)
 『第6番』は、しっとりと落ち着いた楽想が印象的だ。隠れたファンの多い曲である。『第7番』や『第8番』と比べると、起伏に乏しく感じられるためか演奏される機会は少ないが、優れたヴァイオリニストの手にかかると、滋味に富んだ充実感が味わえる。

 『第5番』が春の爽やかな陽光や新緑を感じさせるとすれば、『第6番』が表現しているのは、秋の穏やかな木漏れ日や紅葉だ。なお、当初第3楽章には、現在『第9番《クロイツェル》』に使われている華やかな「プレスト」が使われる予定だったが、第1、第2楽章とのバランスを考え、今の変奏曲に差し替えたと言われている。

『第7番 ハ短調』(op.30-2)
 この曲は『交響曲第5番《運命》』(op.67)や『ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》』と同じく、ベートーヴェンにとって運命的な「ハ短調」で書かれている。内面の葛藤やヒロイックな感情の起伏がモザイクのように組み合わされた、いかにもベートーヴェンらしい悲痛さと雄大さを併せ持つ堂々たる作品だ。「ハ短調」の作品に傑作が多いのは、彼の激しい気質がこの調性と合っているからだろう。

『第8番 ト長調』(op.30-3)
 『第8番』は、『第7番』とはまさに対照的な、明るくそして愛らしい作品だ。演奏時間も『第7番』の三分の二程度で、ちょうど『交響曲第7番』と『第8番』の関係に似ている。ベートーヴェンというと、いつもしかめ面をして深刻ぶっているような印象があるが、彼にはこういう一面があることも頭に入れておく必要があるだろう。耳の病気のせいで作曲という行為が大きなストレスだったことは事実だろうし、もともと感情の起伏が激しかったことも事実だが、類まれな構成力と努力を継続できる粘り強さにプラスして、溢れんばかりの豊かな楽想を持った天才だったのだ。肩の力を抜いて作曲したこの作品のシンプルな美しさは、音楽を聴く本質的な喜びを味わうことができるという意味でとても貴重だ。何の衒いもなく、聴く者の心の奥底にストレートに入り込んでくる澄み切った美しさは、後のロマン派の作曲家たちからは決して得られないものだ。

Ⅵ 作品47

『第9番 イ長調《クロイツェル》』
 《クロイツェル・ソナタ》は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの最高傑作というだけでなく、古今東西のヴァイオリン・ソナタの中でも特別の価値を持つ作品だ。出版されたのは1805年だが、彼はこの頃、『交響曲第3番《英雄》』(op.55)、『ピアノ・ソナタ第21番《ワルトシュタイン》』(op.53)、『ピアノ・ソナタ第23番《熱情》』(op.57)といった傑作を次々と世に送り出しており、独自の様式を確立し、作曲家としてもっとも脂の乗り切った時期であった。この曲は彼自身、「ほとんど協奏曲のように……」と書き記しているだけあって、華麗な演奏効果、ダイナミックな曲想、典雅な美しさを併せ持った雄大なスケールの作品となっている。特に第1楽章の冒頭、ヴァイオリンが決然と重音をソロで弾き出す部分からは、この曲に賭けるベートーヴェンの強い思いがひしひしと伝わってくる。もともとは、イギリスのヴァイオリニストで黒人の父とポーランド人の母を持つジョージ・ブリッジタワーのために作曲され、1803年5月24日、ウィーンでベートーヴェン自身がピアノを弾いて初演されたが、なぜか当時盛名のあったヴァイオリニスト、ロドルフ・クロイツェル(1766~1831)に献呈されている。しかしクロイツェルは、この曲をとうとう一度も演奏しなかったと言われている。

Ⅶ 作品96

『第10番 ト長調』
 この最後のソナタを、ベートーヴェンがフランスの名ヴァイオリニスト、ピエール・ロード(1744~1830)のウィーン訪問に合わせて作曲したのは、1812年、《クロイツェル》の作曲から9年後のことである。これは『交響曲第7番』(op.92)、『第8番』(op.93)が作曲された年だ。初演時にピアノを受け持った、彼の生徒にして友人、かつパトロンでもあったルドルフ大公に献呈されている。しばしば「田園的」と形容されるように、穏やかで満ち足りた午後の日差しを思わせる曲だが、第4楽章の変奏曲では主題に捉われない即興の妙が、後期の『弦楽四重奏曲』にも通じる幻想的な味わいを生み出している。

 この曲を聴くと、いつもベートーヴェンの交響曲を思い出す。『交響曲第10番』が作曲されていたら、この『第10番』のソナタのように形式に捕われない、自由で幻想味豊かな音楽が生まれていたのではないだろうか。演奏される機会は少ないが、ベートーヴェンの音楽を考える上で貴重な示唆を与えてくれる曲である。



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