HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/12/15

連載 Wagneriana ワグネリアーナ
    ~ワーグナーにまつわるあれこれ 4

第4回 《マイスタージンガー》と映画

文・松本 學(音楽・バレエ・映画評論)

 東京・春・音楽祭2011に予定されていた《ローエングリン》公演に寄せたコラムでも触れたように、ワーグナーの音楽が映画に用いられている例は数多い。長大な歌劇・楽劇に込められた劇的で迫力ある管弦楽曲や勇壮な行進曲、憧れや孤独を歌う甘美な旋律の数々が、劇映画の演出に十二分に効果的であることは想像に難くないだろう。使用される頻度としては《ローエングリン》と《ヴァルキューレ》を筆頭に、《タンホイザー》がそれに続くといった具合だ。

 それに対して《ニュルンベルクのマイスタージンガー》はどうか。ユニークなことに、オープニングを飾る「第1幕への前奏曲」の圧倒的な有名さに反し、この楽劇の音楽を用いた映画作品は思いの外少なく、さらにそのほとんどが戦争ものなのである。一概に断定はできないが、《マイスター》がナチスに利用されたという"印象"の根強さ・根深さがその理由のひとつにあるのかも知れない。

《マイスタージンガー》を使った映画

 具体的に挙げてみよう。1945年に第2次大戦が終結する以前に製作された《マイスター》使用映画は、『市街』(1931)、『空襲と毒瓦斯』(1933)、『救命艇』(1944)などがある。『市街』を除き、『空襲と毒瓦斯』は第1次大戦、『救命艇』は第2次大戦と、2つとも戦争に絡んだ作品だ。戦後も、ビスマルクやローラ・モンテスが登場する19世紀の物語である『ローヤル・フラッシュ』(1975)は別として、『ハンガリアン』(1977/78)や『オペレーション・ワルキューレ』(2004)など、同じく戦争関連作品が並ぶ。

『再会のパリ』
品番:BWD-2154
税込価格:¥3,990
発売・販売元:株式会社ブロードウェイ
『再会のパリ』

 その用法としては、たとえばハンガリーからの出稼ぎ農夫たちを雇ったドイツ人地主が部屋で蓄音機で聴いていたり(『ハンガリアン』)、軍の重鎮やヒトラー臨席のオペラハウスで上演している(『空襲と毒瓦斯』『オペレーション・ワルキューレ』)というように、当時の情勢を描写する程度に留まっている作品も多い。ジュールズ・ダッシン監督の『再会のパリ』(1942)で、ジョーン・クロフォード演ずるヒロインが、フィアンセにエスコートされて訪れたパーティ先でこの曲がかかっていたため、「ヒトラーの好きな曲じゃないの」と嫌悪を露にするといったシーンもその系列だ。

 もちろん、戦争とは無関係の作品例もなくはない。元強盗同士の裏切りと復習を描いた『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1967)はそのひとつ。とはいえ、《マイスター》は、主人公がつけたテレビでたまたまかかっただけで、画面が映ることすらなく、わずか15秒でチャンネルを換えられてしまう。後にワーグナー音楽をちりばめた『エクスカリバー』を撮るジョン・ブアマン監督の作ゆえ、ここでは意味としての必然云々というよりも、監督のワーグナー趣味だけで使ったのかも知れない。

 日本映画では『新幹線大爆破』(1975)だ。『スピード』(1994)の元ネタといってもよいほどにそっくりなストーリーのこの作品では、速度を落とせば爆発するという危機を乗り越え、クライマックスで爆弾を解除した後、終点の博多を目前についに停車を果たした瞬間に《マイスター》第1幕への前奏曲が流れる。つまり、勝利と歓喜を表すための効果音というわけだ。けれども、それまでクラシックなどまったく使っていなかったにもかかわらず唐突に挿入され、その上少しもマッチしていないので、かなりの違和感を覚えざるを得ない。映画自体はスピード感もあり、サスペンスフルかつ豪華キャストな良作なので、ここでの脱力感は(クラシック・ファンだけかも知れないが)なかなかに大きいだろう。これならば、同じミスマッチでも『岸和田少年愚連隊』(1996)で、主人公チュンバの家族が夢中になって見ている70年代のTV番組『野生の王国』のBGMとしての方が、自然界と不良らに共通する弱肉強食を寓意しているようでまだ面白い。

『勝利への脱出』『魔人ドラキュラ』『カーネギー・ホール』

『魔人ドラキュラ』
品番:GNBF-3144
税込価格:¥1,500
発売・販売元:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント
『カーネギー・ホール』
品番:JVD-3239
税込価格:¥5,040
販売元:ジュネス企画

 そのような中で、わずかながらでも意味を持たせたメタフォリカルな使い方をしているものといえば、たとえばジョン・ヒューストンが晩年に撮った『勝利への脱出』(1980/81)だ。戦時のサッカー試合を中心に描かれた作品である。中心となる音楽はショスタコーヴィチの交響曲第5番(とおそらく第7番)だが、ほんの短いながらも《マイスタージンガー》がかかるシーンがある。シルヴェスタ・スタローンが深夜に収容所から脱走する場面で、その際に「朝はバラ色に輝いて」が営舎から小さく漏れ聴こえている。脱走を果たし、翌朝はバラ色となるというシンプルな意味なのか、それとも......?

 ヒチコックの『救命艇』も意味深だ。多くの資料で「音楽を一切用いていない」などと誤解されている本作だが、あにはからんや。乗り込んできたドイツ兵ヴィリーが、シューベルトの《野バラ》やドイツ民謡の《わが心の花》など歌う。それらはごく自然でおかしくも何ともないなのだが、不思議なのが黒人ジョーが縦笛で吹く最初の曲なのだ。ドイツのUボートに撃沈された船に乗っていた彼が吹くのが、何と敵国を象徴するような《マイスタージンガー》の〈朝はバラ色に輝き〉なのである。

 その他では、意外や意外、『魔人ドラキュラ』(1931)でも聴くことができる。ドラキュラ映画のハシリとなったこの映画は、オープニングの《白鳥の湖》が有名だが、もう2曲クラシックが用いられている。それはドラキュラ伯爵がロンドンに上陸し、ヒロインのミナがいるコンサート会場を訪れる場面だ。伯爵がホールに到着した際には、シューベルトの《未完成》交響曲が鳴っており、(彼がミナたちがいる)ボックス席にやってきた時には――ごくわずかな時間しか経っていないにもかかわらず――《マイスタージンガー》の第1幕前奏曲が終わりかけている。この選曲には、『ドラキュラ』の作者ブラム・ストーカーがワグネリアンであり、バイロイトにも詣でて《マイスタージンガー》を観劇していること、原作の草稿段階ではミナの恋人ジョン(ジョナサン)・ハーカーがワーグナーのオペラ(ただし《マイスター》ではなく《オランダ人》だが)を観に行く場面があったことなどが意識されていると考えられる。

 また、ヴァン・ヘルシング教授やスウァード(セワード)医師(ミナの父)、ハーカーらがミナをめぐって、ドラキュラに立ち向かうという構造が、《マイスタージンガー》のヒロイン=エーファと彼女を取り巻く状況(ザックス、ヴァルター対ベックメッサー)にやや似ているとも言えるだろうか。なお、このシークエンスでは不思議なことに、《マイスタージンガー》が終わった後に再び《未完成》が始まる。

ブルーノ・ワルター(右)

 劇映画ではあるが、かなりの部分が演奏シーンという作品もある。『カーネギー・ホール』(1947)だ。才能豊かだったがナイーヴさゆえに若くして亡くなってしまったピアニストとの間にできた息子を、立派な音楽家に育て上げようとする主人公ノラ(マーシャ・ハント)。彼女は音楽を学ぶための最高の場所として、いつもカーネギー・ホールの袖で、息子トニーに舞台を覗かせていた。そのステージ・シーンには、ハイフェッツ、ライナー、ストコフスキー、ルービンシュタイン、ピアティゴルスキーなど当時の綺羅星のごときスターたちが次々と登場する。その中でブルーノ・ワルターが指揮するのが、《マイスター》第1幕への前奏曲で、ニューヨーク・フィルを指揮してほぼ全曲聴かせてくれるという贅沢ぶりである。余談だが、この映画を観れば、この当時のオーケストラには、ヴァイオリンが指揮者を挟んで向き合う対向配置と、第1、第2と順に並ぶ配置の両方が存在したことがわかる。

[註]
ここで採り上げた映画の内、以下の作品は国内盤DVD未発売です。
『市街』『空襲と毒瓦斯』『ローヤル・フラッシュ』(『市街』は2013年1月25日にリリース予定/ジュネス企画:JVD-3262)。
また、『救命艇』『ハンガリアン』『オペレーション・ワルキューレ』はメーカー廃盤のため、販売分は各ショップの在庫のみ。『殺しの分け前/ポイント・ブランク』はレンタル・オンリーです。

第1回 ワーグナーへのオマージュ(1) |  第2回 フランス文学界のワグネリアンたち | 
第3回 ドビュッシーとワーグナー |  第4回 《マイスタージンガー》と映画

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~関連公演~
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