PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012-

東京春祭のStravinsky vol.1 インバル & 都響の《ストラヴィンスキー》

プログラム詳細

Photo:堀田力丸
■日時・会場
2012.4.7 [土] 19:00開演(18:00開場)※ この公演は終了いたしました。
東京文化会館 大ホール

■出演
指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:東京都交響楽団

■曲目
ストラヴィンスキー:
 バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1947年版) speaker.gif[試聴]
 バレエ音楽《火の鳥》(1910年全曲版) speaker.gif[試聴]
~関連コラム&インタビュー~

【試聴について】
speaker.gif[試聴]をクリックすると外部のウェブサイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」へ移動し、
プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。
ただし試聴音源の演奏は、「東京・春・音楽祭」の出演者および一部楽曲で編成が異なります。


出演者

指揮:エリアフ・インバル Conductor:Eliahu Inbal 1936年エルサレム(イスラエル)生まれ。エルサレム音楽アカデミーを経てパリ国立高等音楽院で学び、オリヴィエ・メシアン、フランコ・フェラーラ、セルジュ・チェリビダッケ等の巨匠に師事。1963年グィード・カンテッリ国際指揮者コンクールで優勝以来、欧米の主要楽団や歌劇場を指揮。フランクフルト放送交響楽団首席指揮者、ベルリン交響楽団首席指揮者等を歴任。現在、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場音楽監督、イタリア国立放送交響楽団の名誉指揮者。フランス政府からOfficier des Arts et des Lettres、ウィーン市よりGoldenes Ehrenzeichenを授与された。東京都交響楽団には1991年に初登壇後、特別客演指揮者(1995~2000)を経て、2008年よりプリンシパル・コンダクターに就任。マーラー交響曲集等のライブCDを次々リリースし好評を得ている。

©Rikimaru Hotta

指揮:エリアフ・インバル Conductor:Eliahu Inbal

管弦楽:東京都交響楽団 Orchestra:Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra 東京オリンピックの記念文化事業として、東京都が1965年に設立。歴代の音楽監督である森正、渡邉暁雄、若杉弘、ガリー・ベルティーニ等のもとで日本を代表するオーケストラに発展した。現在、プリンシパル・コンダクターをエリアフ・インバル、レジデント・コンダクターを小泉和裕、プリンシパル・ゲスト・コンダクターをヤクブ・フルシャ、ソロ・コンサートマスターを矢部達哉、四方恭子、コンサートマスターを山本友重が務める。桂冠指揮者はガリー・ベルティーニ、永久名誉指揮者はジャン・フルネとなっている。東京文化会館、サントリーホールでの定期演奏会、プロムナードコンサート、「作曲家の肖像」シリーズ等の主催公演を行う他、10代の若者達との合同演奏による「ジョイントコンサート」や年間約60回の音楽鑑賞教室、ハンディキャップをもつ方々のための「ふれあいコンサート」、地方公演等も積極的に行っており、多彩な活動に取り組んでいる。数多くリリースされているCDは、「武満徹作品シリーズ」を始めとする現代日本管弦楽の録音や、若杉弘、ガリー・ベルティーニ、エリアフ・インバルによる各「マーラー交響曲集」の他、人気のゲーム音楽『ドラゴンクエスト』まで多岐に渡る。1991年「京都音楽賞大賞」を受賞。
これまでにヨーロッパ、北米、アジア各地での海外公演を行っている。近年は「東京文化発信プロジェクト/東京都交響楽団ハーモニーツアー」(主催/東京都、東京文化発信プロジェクト室[公益財団法人東京都歴史文化財団])の一環として2009年にソウル、シンガポール、2010年にはベトナムを訪問した。国内外における優れた演奏実績により「首都東京の音楽大使」として高い評価を得ている。

公式サイト http://www.tmso.or.jp/

■曲目解説

ストラヴィンスキー:バレエ音楽《ペトルーシュカ》
 今回のプログラム《火の鳥》(初演:1910)と《ペトルーシュカ》(同1911年)に、《春の祭典》(同1913年)を加えたバレエ音楽は、ストラヴィンスキーの「三大バレエ音楽」に数えられ、いずれもセルゲイ・ディアギレフの率いたバレエ団のパリ公演で披露されている。
 《火の鳥》(後述)を成功させた翌年の1911年、ディアギレフは正式に「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」を結成し、その年のパリ公演で《ペトルーシュカ》を上演する。《火の鳥》のハッピー・エンドとは対照的に、人形遣いに命を吹き込まれた人形(パペット)が社会に翻弄された末に殺され、おが屑として処理されるという風刺の効いた舞台やグロテスクな響きが多用される音楽は、一部に反感も生んだが、初演はおおむね成功だった。
 ストラヴィンスキーは《火の鳥》の作曲中に《春の祭典》のコンセプトを得るが、それを実現するには十分に構想を練る必要があると感じ、いったんピアノ協奏曲の作曲に取り掛かる。しかし、ピアノ協奏曲の作曲中に彼は、それを見世物小屋(ラヨーク)の人形劇のキャラクター「ペトルーシカ」を題材としたバレエ音楽に転用する構想を思いつく。「突然精生命を与えられた人形が悪魔的なアルペジオの奔流で管弦楽の腹の虫を爆発させる有様を私はまざまざと脳裏に描いた」(『ストラヴィンスキー自伝』大田黒元雄・訳)。第2場「ペトルーシュカの部屋」でピアノが際立って活躍するのは、そのためである。
【物語】
 休日の市場で人々が浮かれているなか人形遣いが登場し、舞台に小劇場が現れる。人形遣いはペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人の3体の人形に魔法で命を吹き込むと、人形は民衆のなかで踊りだす(第1場)。ペトルーシュカは人形遣いに押し込められた小部屋から逃れられず、思いを寄せているバレリーナにも無碍にされる(第2場)。豪華なムーア人の部屋ではバレリーナがムーア人と踊り始め、そこにペトルーシュカが飛び込んで争いになるが、ムーア人になす術もなく打ちのめされる(第3場)。さまざまな音楽や踊りでにぎわう市場に逃げたペトルーシュカをムーア人が刃物で斬殺する。警官と人形遣いが、おが屑となったペトルーシュカを処理しようとすると、ペトルーシュカの亡霊が浮かび上がり、人形遣いは恐れをなしてその場から逃げ、あとに静まり返った市場の情景が残る(第4場)。

ストラヴィンスキー:バレエ音楽《火の鳥》(1910年全曲版)
 「バレエ・リュス」を結成する以前の1909年、パリ・オペラ座で行われた「セゾン・リュス」の興行を大成功させ、パリのロシア・ブームに火をつけたディアギレフは、翌1910年のシーズンのためにロシア民話「火の鳥」に基づく新作バレエを構想した。台本は振り付けのミハエル・フォーキンがいくつかある民話のヴァリエーションを元に折衷して構成し、作曲は当初アナトーリ・リャードフが担当するはずだった。しかし、その作曲は遅々として進まず、ディアギレフは当時26歳だったストラヴィンスキーに白羽の矢を立てた。結果、初演は大成功を収め、ストラヴィンスキーとディアギレフのコンビは、その後もロシアの民族色と生命感にあふれた舞台を次々に披露し、その名声を不動のものとした。
 ストラヴィンスキーとディアギレフの関係は、ディアギレフが世を去るまで続き、バレエ・リュスの舞台の変化に呼応するようにストラヴィンスキーの作風も、荒々しい生命力にあふれた「原始主義」と呼ばれる作風から簡素でメカニカルな律動を基本とした「新古典主義」へと変化していく。
【物語】
 金のリンゴをついばみに来た火の鳥をイワン王子が捕らえる。火の鳥は一本の魔法の羽根を渡して、イワン王子に逃がしてもらう。魔法使いカスチェイによって捕らえられている12人の美しい乙女が現れ、イワン王子はエレーナ王女と恋に落ちる。そこに現れたカスチェイがイワン王子を石に変えようとした瞬間、魔法の羽によって呼び出された火の鳥がイワン王子を救う。火の鳥はカスチェイの魂の入った石を指し示し、イワン王子がこれを割るとカスチェイは絶命する。カスチェイによって石に変えられていた若者達は乙女達と結ばれ、最後はイワン王子とエレーナ王女の結婚と戴冠式の場面となる。



主催:東京・春・音楽祭実行委員会

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