春祭ジャーナル 2015/02/08
アーティスト・インタビュー
~ロバート・ディーン・スミス(テノール)
聖地バイロイトをはじめ名門歌劇場で大喝采を浴びているロバート・ディーン・スミス。東京春祭2015では、《ワルキューレ》への出演の他、シューマン、R.シュトラウス、トスティ等の名曲を引っ提げての「歌曲シリーズ」への登場、ベルリオーズ《レクイエム》での大野和士&都響との共演と、八面六臂の活躍をみせてくれます。現代屈指のヘルデン・テノールに、音楽との出会いや、東京春祭2015への意気込みについて訊きました。

『ニーベルングの指環』第1日《ワルキューレ》
オペラ・ジャズとの運命の出会い

私はアメリカのど真ん中にあるカンザス州に生まれ育ちました。子供の頃はとにかくビートルズが好きで、よく歌い、演奏もしましたね。大学ではサックスと歌を専攻し、やがて歌に絞って勉強しました。クラシック音楽に出会ったのは18歳のとき。ほとんど同時期に、オペラとジャズに出会ったんです。ある日、大学の出し物でモーツァルトの《劇場支配人》とプッチーニの《ジャンニ・スキッキ》を観ました。その数日後、今度は地元の小さなジャズバンドを聴きました。オペラとジャズ。そういうものがあるのは知っていたけれど、ちゃんとした形で聴いたのはそのときが初めてでした。自分の目の前にまったく新しい世界が開かれ、「絶対に音楽家になろう!」と思ったんです。ニューヨークのジュリアード音楽院で2年間勉強した後、ドイツへ渡り、1983年にビーレフェルトの劇場で初めて契約を交わしました。私はもともとバリトン歌手でした。ドイツに来てからも、最初の6、7年はバリトンとして歌った後、テノールへの転向を決意したのです。
正しさを貫き、ベストを尽くす「ジークムント」

大変興味深いキャラクターを持つ役です。彼はどのような困難な道が待ち受けようとも、正しさを貫き、ベストを尽くします。この意味で、《フィデリオ》のフロレスタンに似ていますね。ブリュンヒルデからヴァルハルに行くことを迫られても、断固として拒否し、ジークリンデを決して諦めません。ワーグナーはジークムントのパートに低い声を多用し、隆々たる響きを実現しています。特に第1幕が素晴らしく、盛り上がり続けて、やがて火山の爆発のようなクライマックスに到達します。最後まで緊張感を持続させることが、指揮者、歌手、オーケストラのいずれにとっても重要です。

ひとつは第1幕のアリア風の〈冬の嵐〉です。冬が去って春の訪れを歌うシーンで、突然時間が止まったかのよう。光と美しさにあふれています。もうひとつは、第2幕でブリュンヒルデがジークムントに死の告知をする場面。彼女はヴァルハル行きを説きますが、やがて彼のジークリンデへの愛の深さに心打たれます。ここの一連の音楽は素晴らしいです。第1幕の最初、ジークムントとジークリンデが見つめ合うシーンで、チェロのソロが愛のモチーフを奏でるところも美しい。2人は一瞥するだけですが、チェロの響きがすべてを語っています。

決してサーカスをやろうとしているわけではありませんが(笑)、ああすることによって客席のお客さんも一緒に呼吸をします。それによって舞台上で起きていることに「参加」することになると思うのです。

ええ。彼は非常に経験豊富な指揮者で、オーケストラと歌手にとって難しい箇所がどこでそのための解決策は何であるか、すべてを把握しています。実は、素晴らしいユーモアも持っているんですよ。演奏会形式上演でオーケストラがクレッシェンドをして盛り上がっているようなとき、横に立っている私だけに見える角度でちらっと見て、にやりと笑う(笑)。お互いを理解し合っているので、マエストロと東京で共演できるのはとても嬉しいです。
歌曲リサイタル:さまざまな愛の側面をテーマに

ワーグナーの《ヴェーゼンドンク歌曲集》やシェーンベルクの《2つの歌》など、さまざまな愛の側面をテーマに選曲しました。愛する人とのこの世の別れを歌ったシュトラウスの〈解き放たれて〉もあれば、太陽が輝く明日への希望を込めた〈明日こそは!〉という歌もあります。ドイツリートだけでなく、ドナウディやトスティなど、19世紀末から20世紀初頭にかけて書かれたイタリアの美しい芸術歌曲も盛り込みました。

歌われる言葉がドイツ語だろうが、ロシア語だろうが、音楽体験というのは個人的なものです。そして、録音と違い、劇場やコンサートホールの席に座って音楽を聴く行為は一回限りのもの。その瞬間にしか経験できない。それが私を魅了します。お客様が私の歌を聴いて、何かしら心に残る。その感動が家に帰ってからも続く。そういうことが起こるのは人生で数回だけかもしれません。私はプロの歌手として、そのために常に全力を尽くしています。