HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/03/01

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
クロード・ドビュッシーとパリの詩人たち

文・後藤菜穂子(音楽ライター)

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クロード・ドビュッシー(1862-1918)

 クロード・ドビュッシーの音に対する繊細かつ研ぎ澄まされた感性は一体どこから生まれたのでしょうか。彼の伝記を読む限り、それは生まれつき備わっていたものだとしか思えません。今から150年前の1862年にパリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レーに生まれたドビュッシーですが、両親は特に音楽にはかかわりがなく、初めてピアノに触れたのは8歳の頃、カンヌに住む叔母の家に滞在した時のことだったと考えられています。その後、パリに戻ってからもピアノ・レッスンを続け、たちまち上達した彼は1872年、10歳でパリ音楽院に入学を果たしました。

 彼が卓越したピアニストであったことは、のちの数々のピアノ作品からも明らかですが、しかし彼はヴィルトゥオーゾ向きの気質ではなかったようで、いわゆる一等賞(プルミエ・プリ)を取ることはできませんでした。やがて、既存の音楽作品を弾くだけでは飽き足らず、本格的に作曲家としての道を目指すようになります。

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サロンでピアノを弾くドビュッシー(1893年)

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ドビュッシーの生家(現在は観光局)

 若きドビュッシーがとりわけ熱心に取り組んだのは歌曲でした。19世紀末のパリでは、マラルメやヴェルレーヌら象徴派の詩人たちが台頭し、ドビュッシーもパリのカフェやマラルメ主催の〈火曜会〉などでこうした詩人たちと交流し、大きな影響を受けたのでした。こうした詩人たちの作品に触発されて、ヴェルレーヌの詩集に基づいた歌曲集《艶なる宴》(speaker.gif[試聴]第1集第2集)などが生み出され、ドビュッシー独自の語法が確立されていったのです。

 実際、こうした詩人たちの影響は歌曲にとどまらず、ドビュッシーのもっとも有名なピアノ曲《月の光》(《ベルガマスク組曲》より)speaker.gif[試聴])も、ヴェルレーヌの同名の詩に想を得た作品です。また、オーケストラのための名作《牧神の午後への前奏曲》(speaker.gif[試聴])は、マラルメの詩《牧神の午後》を読んだドビュッシーが作曲を思い立ったもので、冒頭のフルート・ソロからたちまち神秘的な雰囲気がかもしだされる、斬新かつ魅惑的な作品です。今回は《東京・春・音楽祭》では、フルートとハープの編成でお届けします。

 ドビュッシーの音楽の特色は、ロマン派音楽の主流であったダイレクトな感情表出を排し、光や影、海や月明かり、異国情緒や夢、さらに心の機微を、詩人のように陰影に富んだ筆致で表現したことにあるといえましょう。そして従来の和声語法にとらわれない鋭敏な感性で、ドビュッシーは近代音楽の扉を開いたのでした。


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