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東京・春・音楽祭 2018

アーティスト

アミハイ・グロス (ヴィオラ) 1979年イスラエルのエルサレムに生まれ、5歳からヴァイオリンを学び、11歳でヴィオラに転向した。エルサレムでデイヴィッド・チェンの指導を受け、後にフランクフルトとベルリンでタベア・ツィンマーマンに師事。またエルサレムでは彼の音楽的形成に影響を及ぼしたハイム・タウブにも師事した。 93~99年、アメリカ=イスラエル文化財団の奨学金によって、エルサレム音楽センターの▼続きを見る「ヤング・ミュージシャンズ・グループ」のメンバーとなり、優れた若い音楽家のためのプログラムに参加した。この活動で彼は、若くしてアイザック・スターンやグァルネリ弦楽四重奏団といった著名な演奏家と共演する機会を得た。96年の初め、エルサレム・ヘブライ大学のブラウン・ロジャー・シーゲル・コンクールで第1位を受賞。2007年、イスラエルで最も有名なコンクールであるアビブ・コンクール(ドイツでのミュンヘン国際音楽コンクールに匹敵する)にて、栄誉あるゴッテスマン賞のヴィオラ部門を受賞した。 彼が子供の頃に自ら手にした楽器であるヴィオラの魅力は、その楽器自体のアンビバレントな性質にある。彼によれば、その音色は人間の声に最も近いが、時にヴァイオリンのようでもあり、また時にはチェロのように聴こえることもある。つまり、その音質が定義しきれない。彼の音楽的な背景は、この「定義されない」という側面と呼応している。イスラエルにはこの側面を教える学校が一つもない代わりに、若い音楽家たちは地中海沿岸特有の影響やロシア・ドイツの伝統によって才能を形づくられ、新しいものを発見しようとする好奇心が絶えず育まれる。 アミハイ・グロスにとって、室内楽は活動の基礎である。1995年、エルサレム音楽センターの大学オーケストラにおける各パート首席を集めてエルサレム弦楽四重奏団を創設。今日、最も注目すべき若手の四重奏団の一つとなった。そもそもの初めから4人の奏者は、個々のキャラクターを表現する言語を見つけるため、独特のサウンドを創り出すことを目指していた。ボルレッティ=ブイトーニ財団賞を早くから受賞し、アイザック・スターン、ラサール弦楽四重奏団、エマーソン弦楽四重奏団等のマスタークラスや、フランク・ペーター・ツィンマーマンによって、その核となる音楽的な刺激を得たのである。また、この四重奏団は、毎年イスラエル出身の作曲家に作品を委嘱している。そしてこれまでに世界の主要なホールでコンサートを行なっており、チューリッヒのトーンハレ、ロンドンのウィグモア・ホール、クイーン・エリザベス・ホール、アムステルダムのコンセルトヘボウ、シドニーのオペラハウス等が挙げられる。ハルモニア・ムンディと専属契約をしており、多くの録音が、BBCミュージック・マガジン室内楽賞や、エコー・クラシック賞2009といった、国際的な賞を受賞している。 アミハイ・グロスは、ソロでも、室内楽のプロジェクトでも活動しており、これまでにイェフィム・ブロンフマン、エマニュエル・パユ、内田光子、オレグ・マイセンベルク、ジャニーヌ・ヤンセン、ジュリアン・ラクリン、ダヴィド・ゲリンガス等と共演した。また、世界中のコンサートや音楽祭に出演しており、エルサレム国際室内楽フェスティバル、デルフト音楽祭、サロン・ド・プロヴァンス国際音楽祭、ヴェルビエ音楽祭、BBCプロムス、ローランツエック駅内、ユトレヒト国際室内楽音楽祭、スペクトラム・コンサーツ・ベルリン、ウエスト・コーク室内楽音楽祭等が挙げられる。 プロとして10年間活動した後、2010年からアミハイ・グロスはまた新たなスタートを切った。10/11年シーズンより、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席ヴィオラ奏者を務め、近年は同管弦楽団で様々なプロジェクトに出演している。加えて、ソリストとしてのキャリアにもより時間をかけるようになり、これまでに、ダニエル・バレンボイム率いるウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団、エルサレム交響楽団といった、国際的に著名なオーケストラと共演している。来たるシーズンは、バレンシア・オペラハウス、アムステルダムのコンセルトヘボウ、メガロン・アテネ・コンサートホールへの出演、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との共演を控えている。使用楽器はガスパロ・ダ・サロ(1570年製)のヴィオラで、個人の所有者より終身貸与されている。▲プロフィールを閉じる

出演公演

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