PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2013-

にほんのうたⅢ~東京オペラシンガーズ
~合唱で聴く美しい日本の歌

世界屈指の水準を誇る東京オペラシンガーズから選りすぐりのメンバーで贈る、懐かしい日本の歌と情景は、毎回好評を博しています。つい一緒に口ずさみたくなる名曲の数々、お楽しみください。

プログラム詳細

2013:03:15:19:00:00

© 堀田力丸
■日時・会場
2013.3.15 [金] 14:00開演(13:30開場)/19:00開演(18:30開場)[各回約60分]
旧東京音楽学校奏楽堂

■出演
東京オペラシンガーズ
  ソプラノ:駒井ゆり子、馬原裕子、山崎法子
  アルト:三宮美穂、菅原章代、橋本恵子
  テノール:真野郁夫、渡邉公威、渡辺 大
  バス:寺本知生、成田 眞、藪内俊弥
指揮:宮松重紀
ピアノ:寺嶋陸也
ナビゲーター:好本 惠

■曲目
春の日の花と輝く(アイルランド民謡):ムーア・作詞/堀内敬三・訳詞(若林千春・編曲)
旅愁:犬童球渓・作詞/オードウェイ・作曲(寺嶋陸也・編曲)
冬の星座:堀内敬三・作詞/ヘイス・作曲(寺嶋陸也・編曲)
大きな古時計:ワーク・作詞作曲/保富康午・訳詞(小林秀雄・編曲)
赤いサラファン:ツィガーノフ・作詞/津川主一・訳詞/ヴァルラーモフ・作曲(寺嶋陸也・編曲)
ともしび(ロシア民謡):楽団カチューシャ・作詞(寺嶋陸也・編曲)
ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡):津川主一・訳詞(寺嶋陸也・編曲)
グリーンスリーブス(イギリス民謡):三木おさむ・訳詞(源田俊一郎・編曲)
埴生の宿:ペイン・作詞/里見 義・訳詞/ビショップ・作曲(若林千春・編曲)
花の街:江間章子・作詞/團伊玖磨・作曲(増田順平・編曲)
お菓子と娘:西條八十・作詞/橋本國彦・作曲(林 光・編曲)
ゆりかごのうた:北原白秋・作詞/草川 信・作曲(寺嶋陸也・編曲)
牧場の朝(文部省唱歌):杉村楚人冠・作詞/船橋栄吉・作曲(飯沼信義・編曲)
椰子の実:島崎藤村・作詞/大中寅二・作曲(平吉毅州・編曲)
学生時代:平岡精二・作詞作曲(寺嶋陸也・編曲)
落葉松:野上 彰・作詞/小林秀雄・作曲
スキー(文部省唱歌):時雨音羽・作詞/平井康三郎・作曲(若林千春・編曲)
スキーの歌(文部省唱歌):林 柳波・作詞/橋本國彦・作曲(寺嶋陸也・編曲)
ペチカ:北原白秋・作詞/山田耕筰・作曲(三善 晃・編曲)
[アンコール]
この道:山田耕筰・作曲
花:滝廉太郎・作曲


出演者

合唱:東京オペラシンガーズ Tokyo Opera Singers 1992年、小澤征爾指揮、蜷川幸雄演出で話題を呼んだ《さまよえるオランダ人》の公演に際して、世界的水準のコーラスをという小澤氏の要望により、東京を中心に活躍する中堅、若手の声楽家によって組織された。当公演の合唱は圧倒的な成果を上げ、各方面から絶賛を受けた。その評価により同年、第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本《エディプス王》、 ▼続きを見る バイエルン国立歌劇場日本公演《さまよえるオランダ人》(ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮)に招かれ、再び高い評価を得た。翌93年から活動は本格化し、サイトウ・キネン・フェスティバル松本(2009年まで連続出演)、東京フィルハーモニー交響楽団主催コンサート(出演したオペラコンチェルタンテ・シリーズ「ヒンデミット3部作:大野和士指揮」は文化庁芸術祭大賞受賞)、東京・春・音楽祭等を活動の中心に置く他、ベルリン・コーミッシェ・オーパー、キーロフ歌劇場管弦楽団(ヴァレリー・ゲルギエフ指揮)、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(ユーリ・テミルカーノフ指揮)、イタリア国立放送交響楽団等の来日公演に出演、音楽界の活性化に大きく貢献することとなった。1998年には長野冬季オリンピック開会式において、世界6ヵ国を結ぶ《第九》合唱で、中心となる日本側の演奏を担当した。99年にはヨーロッパの代表的音楽祭の一つであるエディンバラ音楽祭に出演(東急文化村制作《トゥーランドット》)、最大級の賞賛を得た。2000/01年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演(小澤征爾、サイモン・ラトル指揮)、同楽団からも高い評価を得た。東京・春・音楽祭には、東京のオペラの森合唱団として第1回から連続出演。06/07/10年に共演したリッカルド・ムーティ(ヴェルディ《レクイエム》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》他)からも高い評価を得ている。10年からスタートした東京春祭ワーグナー・シリーズ《パルジファル》にも出演、好評を得た。11年には主要メンバーによる「にほんのうた」シリーズを開始。また急きょ開催されたズービン・メータ指揮《第九》(東日本大震災被災者支援チャリティーコンサート)にも出演、当公演は大きな感動を呼んだ。 ▲プロフィールを閉じる

指揮:宮松重紀 Shigeki Miyamatsu 1963年、横浜生まれ。横浜国立大学教育人間科学部を卒業後、東京藝術大学指揮科を91年、首席にて卒業する。指揮を山田一雄、遠藤雅古の各氏に師事。89年にはイタリアのキジアーナ音楽院に学び、ロジェストヴェンスキーに師事。東京二期会や日生劇場等のオペラ公演に副指揮として携わり、小澤征爾、若杉弘、外山雄三等のもとで研鑽を積む。▼続きを見る 89年、新星日本交響楽団を指揮してデビュー。92年、東京オペラ・プロデュース公演《ドン・ジョヴァンニ》でオペラデビュー。以来、東京フィルハーモニー交響楽団・東京交響楽団・東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団・神奈川フィルハーモニー管弦楽団・仙台フィルハーモニー管弦楽団・群馬交響楽団・広島交響楽団・大阪センチュリー交響楽団等を数多く指揮し、いずれも高い評価を得た。特に東京フィルハーモニー交響楽団との関係は長く、新星日本交響楽団時代を含めると、指揮した演奏会は100を超えている。またオペラ公演では、新国立劇場や二期会を始め、横浜シティオペラ、関西二期会等、全国各地でのオペラ公演も数多く指揮。様々な演出家、歌手とともに多数の公演を上演し、多くの信頼を得ている。特に2001年、新国立劇場主催公演ロッセリーニ《花言葉》では「大きな流れと繊細さを併せ持つ指揮者」(「日本経済新聞」)「歌手を自由にさせながら、オーケストラを歌わせる能力に舌を巻く」(「音楽の友」)と絶賛される。知られざるオペラの発掘にも意欲的で、カールマン《サーカスの女王》、ペルゴレージ《やきもち亭主》を日本初演している。近年では08年に渡伊、ミラノ・スカラ座にて研修。スカラ座公演、大野和士指揮《マクベス》に携わり、氏のアシスタントを務める。合唱指揮者としても絶大な信頼を得ており、日本における重要な公演に数多く携わっている。ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演(2000年、小澤征爾指揮)、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(06年ユーリ・テミルカーノフ指揮)、東京のオペラの森管弦楽団(06/07年リッカルド・ムーティ指揮)、その他NHK交響楽団、東京都交響楽団、読売日本交響楽団の定期演奏会等に客演する。サイトウ・キネン・フェスティバル松本では、2000年のバッハ《ロ短調ミサ》の公演以来、長年に渡り合唱指導の責任を担っている。また、東京オペラシンガーズとの関係も大変深く、東日本大震災チャリティー・コンサート《第九》(ズービン・メータ指揮NHK交響楽団)を始め、数多くの公演を成功へと導いている。東京混声合唱団のコンダクター・イン・レジデンスも務める。14年には、フランス放送合唱団の音楽監督マティアス・ブラウアーの招聘により、同合唱団の定期演奏会への客演が予定されている。ピアニストとして、東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団のメンバーとサロンコンサートを行い、歌手リサイタルの伴奏を続けており、「劇的な表現にもかかわらず歌手と一つに溶け合う」(「神奈川新聞」)と評される。08年、広島市民オーケストラと自身の弾き振りで、モーツァルト《ピアノ協奏曲ハ短調》を演奏し、絶賛された。また、編曲の活動も行っており、作品は自身の指揮で、新星日本交響楽団や東京交響楽団で演奏された。クラシック以外にも活動を広げており、小椋佳、チャゲ&飛鳥、小松亮太(バンドネオン)、藤原道山(尺八)とのコラボレーションや、東京フィルハーモニー交響楽団によるアニメ音楽のCDもエイベックスから発売されている。現在、母校である横浜国立大学の講師として、後進の育成に情熱を注いでいる。 ▲プロフィールを閉じる

指揮:宮松重紀 Shigeki Miyamatsu

ピアノ:寺嶋陸也 Rikuya Terashima 1964年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒、同大学院修了。オペラシアターこんにゃく座での演奏や、97年、東京都現代美術館でのポンピドー・コレクション展開催記念サティ連続コンサート「伝統の変装」、2003年パリ日本文化会館における作品個展「東洋・西洋の音楽の交流」等は高く評価された。06年にはタングルウッド音楽祭に招かれボストン交響楽団のメンバーと ▼続きを見る 自作を含む室内楽を演奏。作曲の他、ピアノ演奏や指揮、音楽祭の音楽監督等、活動は多岐にわたる。オペラ《ガリレイの生涯》《末摘花》、カンタータ《伊邪那岐・伊邪那美》、合唱ファンタジア《オホホ島奇譚》《樹の奇・危・嬉~ピカソくんとうたおう》、ヴォードヴィル《タバコの害について》、《尺八・二十絃箏と管弦楽のための協奏曲》、合唱のための《詩篇第49番》《沖縄のスケッチ》、オーボエ・三味線と打楽器のための《異郷の景色》、古代復元楽器のための《大陸・半島・島》、朗読と筝、室内管弦楽のための《貝の火》他、作品多数。『大陸・半島・島/寺嶋陸也作品集』(ALCD-9026)、『二月から十一月への愛のうた(栗山文昭の芸術2/寺嶋陸也作品集)』(VICS-61092)その他、室内楽や歌曲のピアノ等、多くのCDがある。 作品はこれまで国内はもとよりイタリア、イギリス、フランス、オランダ、スペイン、アメリカ合衆国等でも演奏されている。

公式サイト http://www.gregorio.jp/terashima/

© 渡辺 力 ▲プロフィールを閉じる

ピアノ:寺嶋陸也 Rikuya Terashima

ナビゲーター:好本 惠 Megumi Yoshimoto 1954年、東京都出身。76年、東京女子大学卒。同年NHK入局。81年からフリーアナウンサー。「きょうの料理」「すくすく赤ちゃん」「NHK俳壇」「ペット相談」等で司会者として活躍。現在、医療・健康・暮らし等をテーマにシンポジウムのコーディネーターも務める。十文字学園女子大学特任教授。立正大学、NHK文化センタ-の講師。2010年9月「ことばの杜」に7人目のメンバーとして参画。

ナビゲーター:好本 惠 Megumi Yoshimoto

■曲目解説

アイルランド、イギリスのうた
 「春の日の花と輝く」は、ダブリン生まれの詩人トーマス・ムーアがアイルランドの古謡に詞をつけたもの。移ろいゆく若さ、それでも変わりない真心の愛情を歌う。「ロンドンデリーの歌」は、北アイルランドのロンドンデリー州で採譜された古謡。様々な歌詞バージョンが存在するが、中でも「ダニー・ボーイ」は有名である。津川主一が訳した歌詞は作詞者不詳のもので、旅立つ我が子への母親の思いを歌う。「グリーンスリーブス」は、イギリスの伝統古謡。曲の起源は明らかでなく、16世紀に口伝えで受け継がれた。レディ・グリーンスリーブスは、アン・ブーリン(ヘンリー8世の2番目の王妃)という説もある。「埴生の宿」は、ロンドン生まれの作曲家ビショップが書いた作品。彼は舞台音楽専門の作曲家であり、この曲も実は1823年初演のオペラ《ミラノの乙女》の中で歌われるアリアで、住まいは貧しくとも心は豊かという内容である。

アメリカのうた
 「旅愁」は、東京音楽学校卒の犬童球渓が、故郷・熊本を離れた自らの思いをオードウェイの原曲に託して作詞したもの。作曲者のオードウェイは、医師でもあり、フォスターやワークらと同時代の音楽家である。「冬の星座」は、ヘイスが1871年に作詞作曲した「愛しのモーリー」に、堀内敬三が新たに詞をつけた。冬の夜空を彩る星座の美しさが、卓越した日本語で表現されている。「大きな古時計」は、19世紀アメリカを代表する歌曲の作曲家ワークによって1876年に発表されたが、すでに当時から人気曲であった。ちなみにおじいさんの歳は原曲では90歳となっている。

ロシアのうた
 「赤いサラファン」は、1834年にヴァルラーモフが書いた曲。サラファンとは、ロシアのジャンパースカートのような民族衣装。また、ロシア語で「赤い」には「美しい」という意味もある。愛娘を優しく諭す母親の気持ちを歌っている。「ともしび」は、1960年代当時、うたごえブームの火付け役となった曲。新宿にはこの曲名を店名にした歌声喫茶もあった。哀愁を帯びたもの悲しいメロディが日本では非常に受けて、合唱曲の定番となった。

日本の詩人のうた
 「花の街」は、昭和22(1947)年の正月に作曲された。江間章子の歌詞には、終戦後の日本に寄せる痛切な想いが込められている。それは瓦礫に覆われた、見渡す限り一面の焦土に託す、美しい希望の花だった。「お菓子と娘」は、昭和3(1928)年に書かれた作品。お菓子好きで粋なパリジェンヌの様子が描写されている。西條八十はフランス文学者でもあり、留学先のソルボンヌ大学では詩人ポール・ヴァレリーとも交流があった。そして九州は福岡・柳川の詩人、北原白秋の詩による2作品、「ゆりかごのうた」は、大正10(1921)年発表の作品。優しい眠りを誘う、穏やかな子守唄である。「ペチカ」は、大正12(1923)年作曲の作品。ペチカとはロシア式の暖房のことで、雪のしんしんと積もる夜に、暖炉の前で昔語りをする楽しさを歌う。「椰子の実」は、『落梅集』所収の藤村の詩に、山田耕筰門下の大中寅二が昭和11(1936)年に付曲したもの。原詩は、愛知県渥美半島の伊良湖岬に流れ着いた椰子の実の話を、民俗学者の柳田國男が藤村に話したことから生まれた。

文部省唱歌
 文部省唱歌は、そもそも著作者を公表しないという契約のもと、明治から昭和初期にかけての音楽教科書に掲載された楽曲である。したがって、未だ著作者が判明しないものもある。「牧場の朝」の作詞者は長らく不詳だったが、現在では元新聞記者で文筆家の杉村楚人冠が定説となっている。昭和7(1932)年、唱歌に採択され、モデルは福島県岩瀬牧場と言われている。「スキー」は、北海道利尻町出身の流行作詞家・時雨音羽による詞で、昭和17(1942)年に唱歌に採択。そもそもスキーというスポーツ自体、最初の伝来は明治44(1911)年だったという。「スキーの歌」は、昭和7(1932)年採択の唱歌。作詞の林柳波には、「ウミ」「オウマ」「かくれんぼ」等、よく知られた曲の作詞が多数ある。

日本のうた
 「学生時代」は、昭和39(1964)年に発表されたペギー葉山のシングル曲。作詞作曲の平岡精二もペギー葉山も、青山学院大学出身。蔦のからまるチャペルとは、青山学院大学内にある有形文化財ベリーホールのチャペルである。「落葉松」は、昭和47(1972)年に野上彰の詩に付曲された。原詩は昭和22年秋に軽井沢で書かれたもので、高原に降る霧雨の様々な表情を切り取って味わい深い。秋の雨、夜の雨、陽のある雨、小鳥の雨、それらは体を濡らし、内面を濡らし、追憶を濡らしていく……。


主催:東京・春・音楽祭実行委員会 後援:公益財団法人 台東区芸術文化財団

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