HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2018/03/04

エリーザベト・レオンスカヤとウィーン、そしてシューベルト

取材&文・中村真人(ジャーナリスト/在ベルリン)


 その創作活動がある都市と分ち難く結びついている作曲家がいる。ウィーンで生まれ、ウィーンで没したシューベルトはその最たる例だろう。人はその音楽の中にウィーンの香りや気配を感じ取る。

 シューベルトの音楽をこよなく愛し、レパートリーの中核に位置づけてきたエリーザベト・レオンスカヤも、ウィーンと密接な関係を持つピアニストだ。もっとも彼女の場合、この街は自らの意志で選んだ任意的亡命地と呼べるような場所なのかもしれない。

エリーザベト・レオンスカヤ

エリーザベト・レオンスカヤ

 レオンスカヤは1945年11月、当時ソ連だったグルジアのトビリシで生まれた。6歳でピアノを始め、64年にジョルジェ・エネスク国際ピアノコンクールで優勝したのを機に、モスクワで学ぶことを決意。モスクワ音楽院時代から、ヴァイオリンのオイストラフ、ピアノのリヒテルら巨匠の薫陶を受け、その才能を開花させてゆく。しかし、母親がユダヤ人だったことに起因する不遇に加え、ソ連時代の多くの知識人同様、レオンスカヤも(特に海外における)演奏活動の制約に苦しむことになった。

 転機は1978年に訪れた。レオンスカヤはこう語る。

 「この年、私はイスラエルから招待を受け、ビザを申請することができました。当時、ソ連からイスラエルへユダヤ人の大きな移住の波がありましたが、両国間に国交はなく、通過ビザでウィーンを経由する必要があったのです。私はちょうど9日後にウィーンでのコンサートを控えていました。ウィーンではすでに3回コンサートをした経験があり、友人もいましたし、ドイツ語も学んでいました。モスクワで書類の問題を解決してから、ウィーンの空港に到着すると、直接オーケストラとのリハーサルに向かったのです。そして、そのまま......。ええ、私は最初からウィーンに残るつもりでしたよ」

 まさに運命のいたずらというべき邂逅だろうか。こうしてウィーンはレオンスカヤの芸術活動の新たな拠点となり、今日に至る。

 昨年12月末、私はケルンに向かった。レオンスカヤがクリスマスにケルン・フィルハーモニーでリヒテル没後20年のコンサートに出演するのに合わせ、彼女にインタビューをするためだった。テーマはシューベルトのピアノソナタ。レオンスカヤは2016年にウィーンのコンツェルトハウスで6夜に及ぶツィクルスを行い、極めて高い評価を得た。この4月、同じプログラムを東京・春・音楽祭で披露することになったのである。

 齢72歳というレオンスカヤは、穏やかでチャーミングな微笑が印象的な女性だった。しかし、静かな口調の中にもシューベルトの音楽に対する確固とした信念をそこかしこで感じ、私は圧倒される思いがした。

 「取り組めば取り組むほど、その先に行きたいという気持ちが湧いてくる作曲家。今の私にとってそれがシューベルトなのです。なぜならシューベルトの作品は本当に多彩で、音楽的、哲学的、文学的な創意にあふれています」

 今回のツィクルスの特徴は、文字通りの全曲演奏会だということだろう。シューベルト弾きと呼ばれる名ピアニストでも、(未完成が多い)初期の作品はあまり取り上げないという例もあるが、レオンスカヤは完成した楽章を1つも持たない第8番、第10番、第12番以外のすべてのソナタを弾く。

エリーザベト・レオンスカヤ

 「ベートーヴェンは、作品1からベートーヴェンそのものだと確信できます。でも、シューベルトはそこまでには至っていません。もちろん、どのソナタにも彼の個性や横顔が感じられて興味深いのですが、第5番変イ長調のように『これはハイドン?』と見紛う作品もあります。この時期、彼はまだ独自の語法を見出していなかったのです。しかし、第13番イ長調になると、これはもう紛れもないシューベルトの音楽。そのピュアなリリシズムは他と代えが利きません」

 6夜のツィクルスでは、各プログラムに様々な時期の曲が盛り込まれている。シューベルトが短い生涯の間に駆け抜けた創作の過程をたどることができるのは、ツィクルスならではの楽しみといえる。

 レオンスカヤとのインタビューで、「ああ、やはりウィーンの人だな」と感じたのは、話の中にこの街を生きた他の大作曲家の名前がさりげなく出てくることだった。

 「第16番イ短調は、第2楽章で素晴らしい変奏曲を聴くことができます。彼がいかにベートーヴェンを模範にしていたか、音楽の性格だけでなく、交響曲的な側面においても感じられますね」

 「第20番イ長調は、音楽的な素材やアイデアの観点で見ると、むしろ後のブルックナーの交響曲の方向性にずっと近い。第15番《レリーク》の第1楽章にも、私はそれと似た趣向とスケールを感じます」

 「(第20番の)第2楽章には、魂がさすらい、メランコリーが漂い動くような、後期のマーラーの音楽を想起させる唯一無二の世界があります」

 シューベルトがウィーンの他の大作曲家からどのような影響を受けたか、そしてその音楽がいかに時代を先取りしたものだったか。この街に生きるレオンスカヤは、時間の感覚を超えて、それらを自然に感じ取ってきたのだろう。

 もっとも、レオンスカヤはウィーンを故郷とは感じていないようだ。なぜなら、彼女曰く、「どこにいようと、故郷は音楽と母語の中にあるから」。

 この4月、シューベルトがピアノソナタという作品群に込めた魂の遍歴が、エリーザベト・レオンスカヤという稀有な解釈者を通して誠実に、そしてこの上なく豊かに伝えられるだろう。6夜のツィクルスが、東京の聴き手の琴線に触れることを心から願う。


~エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)出演公演~

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