春祭ジャーナル 2017/12/25
悲劇のヒロインなのか、恐ろしい魔法使いなのか?─ペトラ・ラング
文・堀内修(音楽評論家)
恐るべき

ペトラ・ラング
恐るべき女性だ。いや、恐れるべきだろうか?ペトラ・ラングが歌い出すと、つい身がまえてしまうのは、最初にオルトルートを歌うのを聴いてしまったからかもしれない。もし今度初めてこのソプラノを、オルトルートとして聴く、という人がいたら覚悟しておいたほうがよろしいのではないかと思う。
ワーグナーのソプラノとして絶好調の季節を迎えているペトラ・ラングは、音楽祭や一流歌劇場のワーグナー上演に欠かせない人材として、いまや引っ張りだこだ。《パルジファル》のクンドリや《ローエングリン》のオルトルートは、メゾ・ソプラノとして歌っていたころからのおなじみの役で、いまも歌い、定評があるのだが、それにソプラノの大役が入ってきたから大変だ。かつてブランゲーネとして評価されていた《トリスタンとイゾルデ》だが、バイロイトのクリスティアン・ティーレマン指揮カタリーナ・ワーグナー演出の上演ではイゾルデを歌っている。東京でも、ウィーン国立歌劇場日本公演の《ワルキューレ》ではジークリンデだったし、先頃の新国立劇場の《神々の黄昏》ではブリュンヒルデを歌っている。
さてペトラ・ラングは悲劇のヒロインなのか、恐ろしい魔法使いなのか?
オルトルートこそ
イゾルデやブリュンヒルデを歌うソプラノには昔から2つの道があった。まず《魔弾の射手》のアガーテや《ばらの騎士》の元帥夫人、あるいはモーツァルトのオペラのいくつかの役を歌っていくうち、声に十分な強さをたくわえ、エルザやジークリンデを歌うようになる道がある。もう1つがメゾ・ソプラノとしてキャリアを始め、《パルジファル》のクンドリや《タンホイザー》のヴェーヌスからイゾルデ、ブリュンヒルデと役を広げていく道だ。ペトラ・ラングはもちろん後者にあたる。
メゾから入ったワーグナー・ソプラノには、一代の名イゾルデだったワルトラウト・マイヤーがいる。だがマイヤーはブリュンヒルデを歌わなかった。歌いたかったが《ジークフリート》の第3幕の高音が難しかったとのこと。ペトラ・ラングはいまブリュンヒルデとクンドリ、イゾルデとオルトルートを往復しながら歌っている。もしかしたらイゾルデ・ブリュンヒルデへと完全に移行してしまい、ブランゲーネやクンドリは歌わなくなってしまうのかもしれない。だが2018年にも、たとえば東京の後に、マルセイユの《ローエングリン》新制作上演でもオルトルートを歌う予定になっているから、オルトルートの役は手離さないと思われる。

劇場側からすると、ブランゲーネはともかく、オルトルートにはついペトラ・ラングに頼もうか、と思ってしまうところがきっとあるのだ。
メゾ・ソプラノ系のワーグナー歌手には巧い人が多い。ミヒャエラ・シュスターのオルトルートなど、名人級だ。それでもラングのオルトルートを忘れ去るわけにはいかない何かがある。
イゾルデやブリュンヒルデを歌うラングを聴くと、その理由がわかるような気がしてくる。たとえば《神々の黄昏》のブリュンヒルデだ。第2幕で圧倒的な復讐の女神と化すブリュンヒルデだが、序幕にジークフリートと出てくる時は、愛にあふれていて、優しい。でもペトラ・ラングが歌うと、ここですでに、この女性は怒らせたら恐いと、どこかで感じ取ってしまう。どこかにオルトルートが潜んでいるのではないか。
《ローエングリン》にはまちがいなく恐いオルトルートが現われるが、マーラーやR.シュトラウスの歌曲はきっと優しく歌ってくれる。もちろんブラームスも、と願う。
~関連公演~