HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2017/12/08

21世紀の巨匠コンスタンチン・リフシッツが挑むJ.S.バッハの一大プロジェクト

文・真嶋雄大(音楽評論家)


 2018年春、コンスタンチン・リフシッツが、満を持して東京・春・音楽祭に登場する。3月31日と4月1日の2日間、プログラムはJ.S.バッハの7曲あるピアノ協奏曲全曲を弾き振りで演奏するという驚愕のプロジェクト。30日には第1番~第4番、1日には第5番~第7番に加え、「ブランデンブルク協奏曲第5番」も演奏される。「ブランデンブルク協奏曲」では、第5番を除くと、ピアノ(チェンバロ)は通奏低音としての扱いであるが、第5番のみは独奏楽器として置かれている。

コンスタンチン・リフシッツ

コンスタンチン・リフシッツ

 「今回演奏するのは、J.S.バッハが鍵盤楽器のために作曲した協奏曲のほぼすべてです。J.S.バッハの音楽から受ける大きな喜びをともに分かち合いたいと思っておりますし、またJ.S.バッハの持つ音楽のエネルギーを伝えたいと思っています。J.S.バッハの作品は、繰り返し、繰り返し弾くことによって、新しいものが見えてきます。その度ごとに、斬新な側面を発見します。他の作曲家もそうですが、J.S.バッハはJ.S.バッハ独自の音楽の言葉を持っていて、その言葉の中に、メッセージを込めていると私は思います。ですからJ.S.バッハのメッセージを自分なりに聴き手に伝えられればと思っています。その中で、どのくらい作品の中に入っていけているか、また深く入っているかは、そのときによって異なりますけれど...」

 近年、指揮についても専門的に学んだリフシッツであるが、さらに前後して21日にはJ.S.バッハ「イギリス組曲」全曲、同24日には「フランス組曲」全曲、25日には「パルティータ」全曲を演奏する。これらはすべて舞曲で構成されているため、「ダンス!ダンス!ダンス!」とおどけてから、真摯に語りだした。

 「日本の舞踏とコラボレーションしてJ.S.バッハを演奏することが、私の大きな夢です。日本の舞踏とは、能の舞のことですが、歌舞伎の舞でも良いのです。テンポや性格がいろいろありますが、私の演奏するJ.S.バッハを聴いて、日本の舞のことをイメージしていただけたらと思っています。具体的にはJ.S.バッハの時代の日本の舞です。まったく外国とコンタクトがなかった当時の日本で、ヨーロッパと同じような文化があったことは本当に不思議です。例えばです。日本の神話に出て来る天照大御神にはいろんなエピソードがありますが、同じような話がギリシャ神話にもあります。女神デメテルのことです。2人の女神によって図らずも飢餓、天災が起きる。当時交流のなかった日本とギリシャに同じような神話が存在している。J.S.バッハが舞曲を書いていた時に、日本でも舞の音楽がどんどん生まれていた。つまり音楽と舞、2つの組合せが生きる力を与えてくれるんだ、もらえるんだという意識が同じ時代に日本とヨーロッパであったんです」

 補足すると、天照大御神の方は「天岩戸」のエピソードであり、デメテルの方は、「ペルセポネーの略奪・帰還」のことを指しているものと思われる。いずれにしても、太陽神的な側面を2人の女神が持つ神話である。


 リフシッツは1976年、ウクライナのハリコフに生まれた。ピアニストだった母から手ほどきを受けると、すぐに即興演奏して周囲を驚かせた。5歳でグネーシン音楽学校に入学、名教師タチアナ・ゼリクマンに薫陶を受けた。ゼリクマンは、ウラジーミル・トロップ夫人でもある。そしてリフシッツはすぐに神童としてたちまち周囲の耳目を集め、コンクールに出場することなく演奏活動をスタートさせたのである。

 その後リフシッツが国際的に注目されるのは、わずか13歳の時の「ファースト・レコーディング」であり、17歳の「J.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》」だった。まだあどけなさの残る少年の録音に世界は仰天し、震撼した。それほどに耳を疑うほどの音の美しさと極めて正統的にして閃きに満ちた解釈。透徹なタッチは研ぎ澄まされ、強靭な芯の廻りを艶やかなベールが纏う音色はグラデーションのように移ろい、千紫万紅の彩りを添えるのだ。まさに天才と呼ぶに相応しい。

 初来日を果たしたのは1991年。それからは2、3年おきに訪れて、数々の名演を残している。そのどれもが折々の彼の心情と恐るべき完成度をもって悠揚胸に迫るのだが、2002年にはオール・シューベルト、2006年にはチャイコフスキー、ムソルグスキーで、息を呑むほどに緊迫した集中力、ドラマティックな造形と芳醇な詩情を築き、2010年の聖夜にはJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」で、鏡面を渡るように美しい音を駆使し、肌理細やかで多様なポリフォニーの本質を的確に表して聴衆を魅了した。J.S.バッハについては2012年、「フーガの技法」を採り上げ、複雑に絡み合うフーガに、まったく声部を混濁させずきわめてクリアに、J.S.バッハが織り込んだ対位法の絶美を丹念に織り上げた。

コンスタンチン・リフシッツ

 「J.S.バッハの協奏曲については、東京と大阪で公演がありますが、異なるオーケストラと共演します。これまでも2011年にはやはり弾き振りで、J.S.バッハの協奏曲全曲をシュトゥットガルト室内管と共演、CDにも録音しました。でも今回、これだけのプロジェクトは世界のどこでもやったことはありません(笑)」

 J.S.バッハを演奏するにあたり、古楽奏法へのアプローチについても聞いてみた。

 「まず私は興味を持っていません。本当にそれが当時の奏法をきちんと把握しているかどうかなんてわからないし、ベートーヴェンであれば、誕生した時からずっと受け継がれ、演奏され続けてきていますが、J.S.バッハにはまったく無視された時代が100年近くもありました。とすれば、古楽奏法は断片的な情報のツギハギで成立しているのであり、そこからは魂は生まれません」

 21世紀の巨匠たるリフシッツが挑む世界初の大プロジェクト。私たちは音楽史の証人になる。


~コンスタンチン・リフシッツ(ピアノ・指揮)出演公演~

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