HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2017/03/28

アーティスト・インタビュー
~マルクス・アイヒェ(バリトン)

マルクス・アイヒェ

 この6年の間、いくつかのプロダクションで《神々の黄昏》のグンター役を歌う機会に恵まれました。ウィーン国立歌劇場のスヴェン=エリック・ベヒトルフ演出、バイエルン国立歌劇場のアンドレアス・クリーゲンブルク演出や、バイロイト音楽祭のフランク・カストルフ演出など。毎回、クリスティアン・ティーレマン、キリル・ペトレンコ、フランツ・ウェルザー=メスト、ジェフリー・テート、アダム・フィッシャー、そしてもちろんマレク・ヤノフスキなど、現代で最高の指揮者たちと共演する機会にも恵まれました。
 今までの本作への取り組みや、楽譜の考察を通じて、私は、グンターは満たされていない人物で、嫉妬深く、そして自らのプリンシプルを持った、とても大きな力を持った王である、と同時にさらなる権力に貪欲な人物である、ということを確信しています。彼の妹グートルーネとの奇妙な関係を除いて、彼自身は他人に対して、いかなる肉体的な興味や感情的な繋がりが見られません。それが彼の現在の成功の鍵ではあるのですが...ただ、明らかにグンターはハーゲンの持つ、叡智や身体的な力を崇拝しています。これら全てを鑑みると、グンターは強い複雑な劣等感に対する葛藤を抱いているのではないか、と私は思うのです。その結果として、彼は簡単に人に操られてしまうのです─とりわけ彼の義弟に。
 おそらく、彼自身の内面との戦いに打ち克つために、少なくとも彼の強さを示すために─特に相対する存在として、より強い義弟のハーゲンがいたことにより─強い良心の呵責を抱きながらも、ジークフリートとの深まる関係においては明らかに、破滅的に彼自身の信条に背くのです。この、激情的な人物像が、グンターを客観的、もしくは思慮深く行動することを不可能にしているのです。 私にとってこの役を演じる上で、一番魅力的な点であると同時に、一番難しい点は、この複雑なキャラクターを描き出す点にあります。

 ヤノフスキ氏は、非常に経験が豊富な指揮者で、興味深い音楽のアイディアをたくさんお持ちです。人間の声というものを愛し、とりわけ、歌手たちの声が多彩な表現で満たされているとき、歌手たちに多大なサポートを与えてくださる方です。ヤノフスキ氏と一緒に仕事をするときは、本番以外ですと、彼のリハーサルのやり方そのものを楽しんでいます。指導方法がわかりやすく、ときどき真面目な顔をして冗談を言うんですよ。

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012-
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.3
歌劇《タンホイザー》より
ヴォルフラム役を歌うアイヒェ

 コンサートは、さすらい人の中心とも言えるテーマ、「Dort wo du nicht bist, dort ist das Glück」に始まります。意味は「おまえのいない所、そこに幸福はあるのだ」です。何がさすらい人を前へ進ませるのか、その道程が難しくなればなるほど、私にはその強い動機の想像がつきません。もし、すべての人間が「さすらい人」だと言うのなら、それぞれの人々の幸福への探求は、何かより良いものと思われるものに辿り着くための、切迫した、常軌を逸した社会の成長の必要性にあると言えるかもしれません。残念ながら、私たちは普段は意識することはないのですが、当然私たちが実際に成し遂げたことによって、達成したいと思っていたこと自体も変化してしまうのです。つまり、私たちは容易に、成し遂げたことと達成したいと思っているこがお互いを駆り立て合う、といったスパイラルに陥ってしまうのです。それを追いかけているうちに、幸福とは何かということがわからなくなってしまうのです。
 私たちの音楽を聴いてくださるさすらい人の皆さまには、幸せになる鍵は、自分の取り巻くものをコントロールするのではなく、自分の取り巻くものをどう受け取るか、自分の見方や期待をどう変えることの中にあるという、この音楽に託されたメッセージに気づいていただけることを望んでいます。驚きと満足はお互いに関連しあっているという、文脈の中では、「Dort wo du nicht bist, dort ist das Glück」は全く異なる意味を持ちます。それは「あなたが、自分自身のやりかたを受け入れれば、幸せになることができる」ということです。

 自分の人生を深く体験できるときというのは、今という瞬間を生きているときなのです。そして私は音楽をやっているときほど、今を生きることができると思っているのです。


~マルクス・アイヒェ(バリトン)出演公演~


春祭ジャーナルINDEXへ戻る

ページの先頭へ戻る