HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2016/04/13

アーティスト・インタビュー
~マティアス・ブラウアー(デュリュフレ《レクイエム》合唱指揮)

マティアス・ブラウアー

マエストロ シノーポリとの喜びに満ちた時間を少ない言葉で語るのは非常に難しいことです。彼は特別な音楽家であり、指揮者であり、何よりも素晴らしい人間でした。彼がスコアから読み取る卓越した音のイメージは、リハーサルを通してゼンパー・オーパーのオーケストラ、合唱団、ソリストら音楽家に感動をもって伝わり、常にモチベーションを上げていました。彼は、常に最大限の取り組みを求め、中庸ということを知らなかったのです。皆が有している芸術的、音楽的ポテンシャルを要求し、促進し、さらに発展させる独自の方法を心得ていたのです。

この作品は、フォーレの《レクイエム》の伝統の上に成り立っています。作品の根底にある叙情的な慰めの表現は両者に共通しています。デュリュフレ自身は「この作品はグレゴリウスの《死者のミサ》に基づいています。楽譜をそのまま使用した部分もあります。私はこの作品をグレゴリウスのテーマの持つ特別な様式で貫き通そうと努めたのです」と語っていました。つまり、伴奏を伴わないグレゴリオ聖歌=単旋律の歌唱、に対する再考察を経て、魅力的な作品に仕上げたのです。

この作品を演奏するためには、合唱指揮者はフランス音楽の音のイメージ、グレゴリオ聖歌、グレゴリウスの音楽を歌う方法・流儀についても熟知していないといけません。合唱指揮者にとっての大きな挑戦は、絶対的に同質な、軽く、漂うような、ほとんどこの世のものと思われない合唱の響きを創り出すこと、そしてそれはオーケストラの音色と混じり合わないといけないのです。私は歌手たちと一緒にこの特別な響きを追い求める共同作業を楽しみにしています。日本の聴衆の皆さんが、フランス音楽の歴史上、重大かつ素晴らしく、期待に満ちた作品の素晴らしい解釈を耳にすることができると確信しています。

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012-
東京春祭ワーグナー・シリーズvol.3
歌劇《タンホイザー》より

オーケストラと合唱の協業は常に、作品の可能な限り最高の解釈というゴールを目指すべきです。 それは、お互いに聴き合うことですが、音響上の観点からいうと、ダイナミクスなどで妥協を要します。 合唱指揮者と指揮者の理想的な関係というのは、お互いに対する尊敬と、開かれた関係に尽きるのではないでしょうか。つまり、お互いに聴き合い、音楽、音楽家、歌手、そして聴衆に対する出来うる限り最高の成果をもたらすという共通の目標を見失わないことだと思います。私はこれまで、マエストロ シノーポリや、彼以外の多くの指揮者のもと、最高の経験だけをしてきました。そのことに心から感謝しています。



~マティアス・ブラウアー(デュリュフレ《レクイエム》合唱指揮)関連公演~

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