HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2016/04/06

アーティスト・インタビュー
~トマス・コニエチュニー(バス・バリトン)

トマス・コニエチュニー

 『ニーベルングの指環』には二人の主人公がいます。この二人なくしては、リングの物語は成立しえることはありません。一人目は、ラインの黄金を─ひねくれた正当化とも言える理由で─奪う、アルベリヒ。二人目はアルベリヒから指環を奪おうとするヴォータンです。ヴォータンによる指環の強奪は、アルベリヒを動揺させ、彼は指環に永遠の呪いをかけますが、それは未来の持ち主へと破滅的な効果を及ぼします。私がアルベリヒのキャラクターにアプローチする際に問うのは「誰がこのドラマの最もひどい元凶/悪役なのか?アルベリヒかヴォータンか?」という点です。
 マンハイム国民劇場でヴォータンを初めて演じ、その数年後、ウィーン国立歌劇場でアルベリヒを演じました。そのため、アルベリヒに取り組むとき、私はすでにヴォータンというキャラクターをとてもよく理解していました。アルベリヒは「リング」全体でとても悲しみに満ちた音楽を歌わなければなりません。この側面は、しばしば見失われがちです、というのも、演じ手としては、彼のキャラクターを独特の悪役として演じる傾向があるからです。しかしながら、私はこの悪であり、本来とても悲しいキャラクターであるアルベリヒに哀れみを感じます。若きアルベリヒは、傷つけられ、脅され、そして「リング」の物語の冒頭でのラインの乙女たちとの不幸な出会いによって勇敢さを試されたのです。
 それ故に、私は彼の憎悪と疑念、そして愛を否定するようになったことを理解することができるのです。いわゆる"善なる存在"と言われるヴォータンに強奪された後、彼は純粋な力を選び、その代わりに自らの幸福を代償として払わなければなりません。彼はすべてを失うのです。私の目には、そんな彼がとても悲劇的で悲しいキャラクターに映るのです。

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2014-
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.5
舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』序夜《ラインの黄金》より
アルベリヒ役を歌うコニエチュニー

 ヴォータンとアルベリヒの二人はリングの物語における主要なキャラクターです。彼らは人間の全く異なる二つの本質を象徴しています。一方がもう一方を補完しているとも言えるでしょう。
 二人はともに、人間の美点、決断や成功を象徴している一方で、人間の弱さ、敗北をも象徴しているのです。ヴォータンは、尊大で、魅力ある"貴族"で、魅力にあふれ輝きに満ちています。しかし彼は不誠実で軽率でもあります。一方、アルベリヒは邪悪なキャラクターで、魅力に乏しく、笑われ、侮辱されています。しかしながら、彼は誠実であり、とても悲しいキャラクターなのです。二人ともただ一つのものを求めている─指環とその力─のです。それがこの"善なる存在"と"悪の存在"の二人を繋ぐものなのです。
 現在、「リング」では主にヴォータン役を歌っています。実際、アルベリヒ役からはさよならをしつつあります。東京・春・音楽祭のほか、ザクセン州立歌劇場やメトロポリタン歌劇場でアルベリヒを歌う予定でいますが、今後は新たにアルベリヒを演じる契約をする予定はありません。

 ピアニストのレフ・ナピェラワがリサイタル・プログラムのアイデアについて持ちかけてきた際、先人たち─テオ・アダム、ジョージ・ロンドン、ハンス・ホッターやこれまでたくさんの人がそうしてきたように、R.シュトラウスを歌いたいということはすぐに思いました。さらに、私自身がスラブの家系ということもあり、スラブ系の作曲家の作品を歌いたかったのです。ラフマニノフを歌うのは私にとって常に夢でした。このリサイタルのプログラムはラフマニノフとR.シュトラウスの組み合わせで考えたといっても過言ではありません。また、R.シュトラウスやワーグナーのオペラを理解し、愛する、日本の素晴らしい観客の皆さまのために、《ダナエの愛》と《さまよえるオランダ人》のモノローグも選曲しました。皆さんに楽しんでいただけると嬉しいです。


~トマス・コニエチュニー(バス・バリトン)出演公演~

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