HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2016/01/27

ロシア・ピアニズムの伝統を受け継ぐ鬼才──レーラ・アウエルバッハ

文・伊熊よし子(音楽評論家)

偉大なる先人の流れを汲む作曲技法

 レーラ・アウエルバッハの名は、ノーベル文学賞に若い文学者としてノミネートされたことで、一躍世界に広く知られるところとなった。

レーラ・アウエルバッハ

 彼女は詩人、作家、美術家、作曲家、ピアニストという多岐に渡る活動を展開するマルチな才能の持ち主で、2004年7月にはスウェーデンで自身の作曲による「24の前奏曲」のレコーディングにも取り組んでいる。

 この作品は、偉大なる先輩であるドミトリー・ショスタコーヴィチ、アルフレート・シュニトケ、アルヴォ・ペルトらの技法が随所に顔をのぞかせるような構成で、不協和音の後に突如としてロマンティシズムあふれる響きが現れたり、バロック風の手法が用いられたりと、非常に表現の幅が広い作品である。

 さらに、アウエルバッハの作曲技法は、セルゲイ・プロコフィエフの流れを汲む面も見受けられ、ストーリー性を大切に、難解すぎず、聴き手の心にスッと自然に入り込んでくる旋律も特徴として挙げられる。

 「24の前奏曲」は、まずハ長調のモデラートからスタートする。やがて長・短調が自由に繰り返されるような構成を備え、遠く過ぎ去った過去を述懐するような旋律も登場するなど、次々に表情と色彩と構成を変貌させていき、一瞬たりとも耳目が離せない集中力に富んだ作風を見せる。

 とりわけ印象的なのが第16曲ロ短調で、アウエルバッハのこの調性へのこだわりが強く感じられ、深淵さを表出している。

アウエルバッハの真骨頂──「24の前奏曲」

 今回は、「24の前奏曲」をアウエルバッハ自身が演奏し、作品の神髄に迫るわけだが、彼女の演奏はロシア・ピアニズムの伝統を受け継ぐスタイル。楽器を大きく鳴らし、レガートを大切に、歌心を存分に披露する。

 さらに、ロシア・ピアニズムは強靭な音量で迫力に富む演奏を行うと思われがちだが、アウエルバッハの演奏は、弱音も聴きどころである。

 ロシア・ピアニズムを体現した20世紀を代表するピアニストのひとり、スヴャトスラフ・リヒテルは、「弱音こそ、ロシア・ピアニズムの真骨頂である」と語り、彼のナマの演奏は、まさにホールの隅々まで届く弱音が印象的だった。

 その弱音は単なる弱い音ではなく、凛とした美しい表情をもち、確かな浸透力をもって聴き手の心へと届けられた。

 アウエルバッハのピアノも驚くべき迫力と強靭な打鍵に支えられたヴィルトゥオーソ的な奏法だが、瞬時に甘美なロマンあふれる表情へと変容を遂げ、繊細で祈りの音楽のような表情へと移行する術も持ち合わせている。

 そして決然とした自信に満ちたピアニズムは「24の前奏曲」全編を貫き、最後のニ短調の曲まで一気に聴かせる。

 この第24曲を先ごろステージで披露した若きピアニストがいる。2015年11月から12月にかけて行われた、第9回浜松国際ピアノコンクールの第1次予選の自由な選択曲でこれを選んだ、オーストリア出身のフィリップ・ショイヒャー(22歳)である。

 残念ながらショイヒャーの入賞は果たせなかったが、アウエルバッハの作品を潔さと情熱をもって演奏し、聴衆に作品のすばらしさを知らしめた。

 アウエルバッハは、2004年にリリースした「トルストイのワルツ」のアルバムで日本のファンにもおなじみとなった。これは文豪レフ・トルストイ、振付家ジョージ・バランシン、作家のボリス・パステルナーク、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)創設者セルゲイ・ディアギレフをはじめとするロシアの作家や画家らが作曲した作品を集めたもので、親しみやすく美しい旋律に彩られた曲が集結している。

 こうした作品を演奏するアウエルバッハは、作家の文体を知り尽くし、作曲家としての本質も顔をのぞかせ、見事なまでに造形的な奏法を展開する。「24の前奏曲」も、斬新な空気を生み出すに違いない。

 アウエルバッハは、諏訪内晶子のためにヴァイオリン協奏曲も書いている。ふたりは専攻こそ異なるものの、ジュリアード音楽院、コロンビア大学でも同時期に学んだ仲で、さまざまな音楽シーンで交流をもっている。

 この作品は異国情緒と抒情性、ドラマティックなエネルギーを秘めたコンチェルト。テンポの急激な変化が印象的で、冒頭には「鐘」の音が響くことも特質である。

 「メロディを書くことに重点を置く」と語るアウエルバッハの真骨頂ともいうべきコンチェルトで、彼女の作風の根幹に触れることができる。

 アウエルバッハは振付家のジョン・ノイマイヤーとも組み、アンデルセン生誕200年にあたる2005年、「人魚姫」のバレエ化に際し、その音楽を担当している。

 「東京・春・音楽祭」の「24の前奏曲」シリーズは、これまでさまざまな作曲家の前奏曲が取り上げられてきたが、作曲家自身が演奏するという今回のプログラムは、きっと新たなる発見につながるのではないだろうか。



~レーラ・アウエルバッハ(ピアノ)出演公演~

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