HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2015/01/16

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
伝説の男、リヒテルについて

文・林田直樹(音楽ジャーナリスト)
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 スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97 ウクライナ出身、モスクワで没)は、単にいちピアニストというだけにとどまらない、巨大で謎めいた存在であった。詩人、神秘家、哲学者、預言者...そういった多様な顔を感じさせる、限りなく尊敬され畏怖される、何者かであった。

 1960年に、東西冷戦のさ中、ソ連から姿をあらわし、アメリカ・デビューしたときのセンセーションは、それは凄いものだったという。その後次々と行われたレコーディング、そしてコンサート・ツアーによって、日本の音楽ファンもまた大きなショックを受けることになる。バッハ、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、ブラームス、グリーグ、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ...どれもとてつもない演奏だった。

 いまロシア・ピアニズムということが盛んに言われているが、結局のところはその核にあるものは、リヒテル・ショックの記憶とノスタルジーなのかもしれない。それほど、鉄のカーテンの向こうからやってきた強大な男のイメージは鮮烈だった。


  「獅子の一撃」ということをある評論家が言っている。リヒテルのピアニズムの、ある特別な瞬間を言い表す言葉として、いかにもその通りだと思う。真の大ピアニストは、どこか帝王の風格がある。そしていざというときは獰猛で的確な一撃によって、不意に音楽の本質を捉え、あらゆる聴き手を震撼させるのだ。

エリーザベト・レオンスカヤ ©Julia Wesely
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  リヒテル・ファミリーという言葉がある。この圧倒的な磁力を持つ男の周りには、ユーリー・バシュメット、オレグ・カガン、ナターリャ・グートマン、エリソ・ヴィルサラーゼら、それを慕う音楽家たちの輪が自然と生まれていった。今回の東京・春・音楽祭で久しぶりにリサイタルを行うエリーザベト・レオンスカヤもその一人である。その星座の中心にあって、リヒテルは全天にひときわ輝く一等星のように、20世紀の音楽界全体を照らす存在だった。


 リヒテルが日本にやってくる――その情報が伝わると、ファンはやきもちし始めたものだ。本当に来るのだろうか? 何しろ彼は飛行機嫌いであり、ウラルの山を越え、シベリアからはるばる陸路を、しかも運転手つきの自動車に乗ってやってくるのだ。そして次の町にたどり着くと、リヒテルはやおら言う。「ここでコンサートを開こう」。

 慌てたスタッフが会場を押さえ、突然リサイタルが開かれる。曲目など、もちろん巨匠の思いつくがままだ。そして公演を終えると、はるばる日本をめざし、次の目的地へとゆっくりと向かう。リヒテルは方向感覚の大変鋭い人であったという。一行が道に迷うと、リヒテルはある方向を指さす。「あっちだ」。

  船で日本に上陸したリヒテルは、シベリアと同じように日本の地方都市をゆっくりと巡りながら、ときどきコンサートを開きながら、東京へとゆっくり近づいてくる。「あの町ではこんな曲を演奏したらしい」「何、本当か」といった噂が伝わってくる。

 そんな具合だから、リヒテルが待ちに待ったサントリーホールのステージに登場したときは、もうすでに奇跡みたいなものである。例によって会場の照明はすべて落とされ、リヒテルはピアノの前の小さな灯りを置き、楽譜を広げ、譜めくりを傍らに、静かにグリーグの抒情小曲集を弾きはじめる。闇の中から聴衆は、息を潜めながら、巨匠の音楽の営みを凝視する――。

 正直いえば、もっと派手な大曲を弾いてくれればいいのになと思わなくもなかった。「獅子の一撃」が欲しかった。だが、一度弾きはじめたら、もう魔術にかかったかのように、リヒテルの世界に完全に没入させられた。何しろリヒテルは預言者なのだ。その日その場にもっともふさわしいと彼が感じた楽曲をリヒテルは弾く。誰も異論は言えない。

  1994年2月、あれはまだバブルの余韻が残っている頃だった。派手で刺激的なものを求めていた東京の聴衆にとって、あれほど静かで控えめで小さな詩のような音楽をリヒテルが聴かせてくれたとき、忘れかけた大切なものを思い出させてくれたように感じたものだ。ひけらかしやエゴの表出とは無縁に、四季折々の風景、素朴な暮らしの一場面が個人の日記のように書かれた世界。人はいかに生きるべきかという哲学を、あのときリヒテルは教えてくれたような気がする。


  リヒテルの音楽性を象徴するエピソードをもうひとつだけご紹介しよう。最初独学でピアノを学んだという彼は、少年時代にはオデッサ歌劇場でオペラのコレペティートル(歌手のコーチ)をやっていたのだという。劇場こそがリヒテルの音楽の源であり、文学やドラマのジャンルに対する膨大な教養がその根本にはある。あるインタヴューで彼が語ったところによれば、「13歳でワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》を全曲暗譜で弾けた」のだそうだ!


  あの頃、音楽を愛する者たちみなが、憧れと尊敬と熱狂の気持ちをこめて口にした「リヒテル」の名が、生誕100年を機に再び人々の話題となるのは、本当に素晴らしいことだ。なぜなら、リヒテルとともに思い出されるのは、ピアノ音楽がもっと神秘的で深遠で、人の生き方を根本から変えてしまうほどの力を持ち得るものだという事実なのだから。

  真の音楽家とは何かということを考える際の、リヒテルは今も道しるべのような存在である。


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