HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/02/27

アーティスト・インタビュー
~若尾圭介(オーボエ)

1990年よりボストン交響楽団とボストン・ポップス・オーケストラのオーボエ奏者として活躍する若尾圭介さん。作曲家ジョン・ウィリアムズ氏との出会いからオーボエ協奏曲が出来上がったいきさつなど、お話を伺いました。


KeisukeWakao.png ■ ボストン響オーボエ奏者 若尾圭介の世界 〜モーツァルトとジョン・ウィリアムズ
clm_q.png   ジョン・ウィリアムズさんと初めてお会いした時のことを教えてください
 ちょうど私がオーディションに受かった1990年にボストンポップスの来日公演を聴きに行った時、終演後の楽屋で小澤征爾さんを介してジョンと会ったのが初めてでした。
 ボストン響と言えばポップスのコンサートを合わせると年間200回ものコンサートを行うハードスケジュー ル。小澤さんはポップス経験のない私を誘ってくれてジョンに会わせてくれたのです。
 「セイジから聞いているよ、ウエルカム!」と言われ、とてもナイスな人でした。 その後ボストン響のメンバーとなるわけですが、まだ若かった私は、練習でずいぶんと大きな音を出していたのに、ジョンは全くけなすことがない。むしろ「今年の木管セクションは大きくなった、グッド。」と言うような人。彼とはとても馬が合ったし、ジョンと一緒に演奏するのはとても楽しかったです。

clm_q.png その後お二人の親交が深まって、オーボエ協奏曲という作品が生まれたのですか
 ジョンが私のための曲を作ってくれていることは知りませんでした。2010年のタングルウッドで、初めて「Concerto for Oboe for Keisuke Wakao」と私の名前が書かれている曲があること、そしてそれが最終楽章を除いてほとんど完成していることを知らされました。もし気に入らなかったら名前をはずすので、まずは演奏してみてほしい、と。とにかくびっくりしましたね!
 なぜ彼が私に作品を書いてくれたのかというと、そんなに格好いい話ではないんですよ。
96年ころ、私はジョンの作品を集めたCDを作る相談をしていて、その時に私が「『いつか、あなたがオーボエ協奏曲を書いてくれたら.....』と言っていたんだよ」と言われて、結局私が頼んでいた(笑)。その時はCDを作ることで頭がいっぱいだったし、そんなお願いのことをすっかり忘れていたんです。彼は頭のどこかでずっと私の言葉を覚えてくれていたんですね。

clm_q.png  ジョン・ウィリアムズさんとのエピソードをお聞かせください
 オーボエ協奏曲が完成したのは、2010年9月、翌年の世界初演(ジョン・ウィリアムズ指揮/ボストン・ポップス・オーケストラ)を果たすまでの間、ロサンゼルスのジョンの家に2回訪れて打ち合わせをしました。
 彼の家に初めて行ったときは、どんな豪邸に住んでいるのだろうかと想像して行ったのですが、30年前に建てたという家は、華美に飾り立てることもなく、長年使い込まれたカーペットや家具に囲まれていました。またその時、私は手持ちの現金がなくなってしまったので、最寄りのATMの場所をジョンに尋ねたら知らなかったり、リーズナブルなレストランを教えてもらおうと思ったら、ロスのレストランを1軒しか知らず、しかも「ケイスケ、そこはとても高いから勧められないよ!」と言われたり(笑)彼は、素晴らしい才能の持ち主で地位も名声もある人ですが、決して自分を全面に出さず常にとても控えめな人なんです。
 そしてロスでの別れ際、「60歳になった時に覚えておくべき言葉をなにか教えてほしい。」と尋ねたら、「ケイスケは、好きなことをできている。オーボエを吹いて、仕事もできて。僕もそうだけど、好きなことが出来ているということは感謝すべきことだよ。」大きな器の人だと思いました。

clm_q.png  今回の公演では、そのオーボエ協奏曲が聴けるということでとても楽しみです
 この音楽祭でオーボエ協奏曲を演奏することはジョンにも伝えていて、彼も知っています。
今回はオーケストラではなくヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1、そして私で総勢10名。オーボエ協奏曲も含めてオリジナルで演奏します。小編成でも弦の厚みもあり、オーケストラに負けない魅力の音楽になっています。「シンドラーのリスト」では、ヴァイオリン・ソロを、モーツァルトのオペラ作品では、歌の部分をオーボエで演奏します。
 奏者は、ヴィオラの鈴木君と一緒に相談して実力ある若手が揃いました。年齢は関係なく、一緒に音楽やって楽しいメンバーばかり。とにかく楽しみにしていてください。


~出演公演~

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