HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/02/26

《アポロ》(ミューズを率いるアポロ) シノプシス

文・ジャン=フランソワ・ヴァゼル


作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:パトリック・ド・バナ
ドラマトゥルク:ジャン=フランソワ・ヴァゼル
舞台美術:アラン・ラガルド
衣装:シュテファニー・ボイエルレ



■歴史的背景■

《ミューズを率いるアポロ》は、アメリカ人メセナのエリザベス・スプレイグ・クーリッジの委嘱で、ワシントンの議会図書館で上演される目的で誕生した。《エディプス王》に続き、ストラヴィンスキーは古代ギリシアと関連する題材に想を得、アポロ神がミューズにそれぞれの芸術を教える主題を選んだ。

登場人物はアポロとミューズが三人:詩を司るカリオペ、雄弁のポリュムニア(※注1)、そして舞踊のテルプシコレ。

筋書き:
〈プロローグ〉アポロがデロス島で誕生する。
舞台中央でアポロがヴァリアションを踊る 。
三人のミューズ、カリオペ、ポリュムニアとテルプシコレがアポロに近づき、挨拶をする。
アポロは、それぞれが司る芸術分野を象徴するものを各々のミューズに贈る:詩のカリオペには書板、演劇を司るポリュムニア(※注1)には仮面、そして舞踊と歌唱のテルプシコレには竪琴を渡す 。
三人の女神は受け取った贈り物を持って踊る 。
父神ゼウスに呼ばれ、アポロはミューズ達と共に、神々の集うオリュンポスへと、パルナッソス山の階梯を上っていく。

構成:
〈第1場〉
・アポロの誕生

〈2場〉
・アポロのヴァリアション(アポロとミューズ達)
・パ・ダクション(アポロと三人のミューズ:カリオペ、ポリュムニア、テルプシコレ)
・カリオペのヴァリアション(アレクサンドラン十二音節詩句)
・ポリュムニアのヴァリアション
・テルプシコレのヴァリアション
・アポロのヴァリアション
・パ・ド・ドゥ(アポロとテルプシコレ)
・コーダ(アポロとミューズ達)
・アポテオーズ

1928年4月、ワシントンでアドルフ・ボルム振付で初演後、同年6月28日パリで、バレ・リュスがジョージ・バランシンの振付で上演。
リファールの美しさと舞踊手としての優れた資質を活用し、バランシンは若く、野性味溢れ、男性舞踊を賛美するようなアポロを生み出す。無駄のない明晰な振付はストラヴィンスキーの曲と完璧に適合した。
パリ初演時、アポロは、古代ローマのトーガをアレンジし、斜めのラインでカットされた衣装に、ベルト、そしてスパルタ式サンダル風にふくらはぎに巻き付けた平紐を身につけていた。ミューズはクラシックチュチュ姿。舞台美術はバロック様式的なもので、大道具は大きなものが2つ(岩とアポロの馬車)。
1947年、ストラヴィンスキーは曲に改訂を加え、その後の再演毎に、バランシンは衣装や(1957年再演時には)舞台装置も次第に簡素に、純化していく。1978年の再演時は、第1場や、タイトルの「ミューズを率いる」という言葉も、パルナッソス山のシーンもカットされている。(最後がカットされない)「ミューズを率いる」バージョンでは、パルナッソス山は黒別珍で覆われた簡単な階段で表されるのみとなった。ミューズの衣装は白いチュニック、アポロは白いタイツで平紐はもうない。振付は、ミハイル・バリシニコフを含む新たな踊り手らのキャラクターに合わせたものになっていった。
踊りを見ると、(肢体の引き伸ばし、上方への跳躍重視などから)アカデミズムへの回帰が感じられるが、腕や手を角張った形で曲げるバランシンの振付はネオ・クラシック様式のものである。

リンカーン・カースタインは、バレエ史における《アポロ》の重要性について述べている。特に当時革命的と思われ、今日ではこんなにも古典的とみなされるようになった振りについて「現代の舞踊における「モダニズム」の大部分は《アポロ》からくるものであり、多くの種類のリフトやトウの使い方が《アポロ》以前は知られていなかったということを私たちは忘れがちだ。このような革新ははじめ、多くの人々に嫌悪感を抱かせたが、サン・レオンやプティパ、イワノフの純粋なスタイルのあまりに自然な延長線上にあったため、ほぼ即座にバレエ芸術の伝統に組み入れられて行ったのだ。」


※注1:引用文のため、原文のまま掲載しています。古くは抒情詩と雄弁のミューズとされたが、少なくとも、本作品の初演時からは、演劇の中でも特に無言劇(マイム)のミューズとされています。

■趣旨■

ここまで形が完成した作品はいかなる再解釈もできないとまずは感じるものだろう。 しかし、ジョージ・バランシンと、革新を好む、革命的とさえ言えるその精神に思いを馳せ、オマージュとなるこの企ての大胆さにバランシンが喜びを抱き得ることも考えると、やってみない手もないか、と思われた。
形式を超えて、バランシン的美学の礎をなすとさえ言える行為で、バランシンはここで出産や、教育、伝承による個の実現などについて語っている。
何一つ凝り固まっておらず、型にはまっておらず、紋切型はひとつも許さず、ミスターBはクリエイティブな空想力を大いに生かしている。
ベルヴェデーレのアポロ像の彫像美が本作には見いだせないと述べる批評家に対し、バランシンは答えた「...彫刻的なベルヴェデーレのアポロではないのです...このアポロは野性的で、若さゆえに人間的なのです...」
また、アポロは一般的に美や芸術の象徴とみなされているが、古代ギリシア人は夥しい数の属性をもつ者と考え、時には不吉な側面をもつ特徴も含めた。例えば、雷に打たれるような罰を与える神とも考えられている。突然の死は全て、アポロが放つ矢に射られた結果と考えられた。また時には、ペストという、より緩慢で更に悲惨な死を人類に対して与えることもある。 まさにこの人間的なアポロ、美しくもあり、暗黒も同時に併せ持つアポロだからこそ惹かれるのだ。父親ゼウスにオリュンポスへ参じるよう命じられ、渋々ミューズ達のもとを離れるアポロ。オリュンポス(詩的なトポスであり、地理的なトポスではない)は絶対的なるもの、神々のすまうところである。
ストラヴィンスキーは、非常に厳密で容赦ないカットを通して、27分37秒(1947年バージョン)で、自分にとっての、神なる人間、アポロの誕生から変貌までへと、我々を導く。 人にはどのような状況で、自らの人生、恋愛、友人達などがこのように急激に次々と見えるのだろう。それは死への旅立ちの直前のひとときにほかならないのではなかろうか。例えば、死刑囚監房棟で、その旅立ちが後戻りのできないものとして宣告され、予定が組まれるのは、本当に雷に打たれるようではないだろうか。死刑囚監房棟の恐怖は、現代社会に生きる誰しもが知らずにはすまされない、疑いようのないものである。自由を奪われ、辱めと感じるような扱い、或いは強制的な投薬を受けて正気を失う者もいるだろう。
処刑または恩赦かの決定が下される直前の恐怖の時間が今まで何度も繰り返され、もう何度目かわからない今回、どっちつかずの宙吊りとなった命の一瞬一瞬にインスピレーションをもたらすのはどんなミューズだろうか?恐らく母親、妻、娘、女弁護士...などという呼び名のミューズだろう。
そして、かの男たちは、数分後には死か解放となるものに直面しつつ、いずれにしても、自らのオリュンポスを目指して、ミューズ達を目にして鋭気を取り戻し、アポロの歩みに続いて進んでいく。


■シノプシス■

登場人物:

23歳のダンサー、まさに栄光をつかもうとしている。プリンシパルに昇格し、「ミューズを率いるアポロ」を踊る予定だ。初日の前夜、特段に残酷な状態で若い女性が殺される。男は無実だが、あらゆる状況が男に不利だ。
死刑を宣告され、19年間死刑執行を待っている。
男の健康状態が考慮され、精神病院に移される。
何度もニジンスキーの日記を読み返す男は、薬や孤独の影響も受け、日増しに自らをニジンスキーに重ねて行く。こんなはずではなかった踊りと自分の関係、そして特にアポロ役について強迫観念的に反芻する。長い年月、多くの支持者が集まったにも関わらず、この日まで再審を重ねたが結果は得られていない。

母親
全ての瞬間にそこにいる不在者。まるで、普遍的な母親像、ピエタ像のように舞台を自らのすみかとしている。長い拘禁期間中に母親は死亡したため、男は再会せずじまい。しかし、母親の姿にとりつかれるように思い出し、母親に癒され、支えられ、無実が終には認められるよう戦う勇気を貰う。
被害者 ただ一人、真実を知る存在。男は、テレビで彼女の映像を見たことがある。最も深い絶望の淵に沈んだ時、精神が迷う時、被害者は、男を慰め、男の無実を証言するために現れる。 母親と被害者は、たった二人、男を告発せず、男をを疑わない女として、互いに深くつながっている。

訪問者
登場人物の中で唯一生身の人間であり、男にとって外界との唯一のつながり。誠実さ、ゆらめく希望の炎を体現する。
この女性の存在は次第に問題をはらんでくる。あまりに長い間、絶対的な性的欠乏状態下におかれ、また正気を失いつつある状況の中、男にとって、この女は官能と動物的性欲の幻想と化す。


ストーリー:
「恩赦委員会」が協議し、弁護側の請求による最終の再審について結果を発表しようとしているところからストーリーが始まる。しかしながら、もう遅すぎるのではないか?
栄光をまさに手に入れようとしていた元ダンサーが不当に殺人罪に問われ、死刑宣告を受けた。 男は19年間拘禁され、精神の健康が損なわれ危険な状態になっていきながらも最後の再審の評決を待っている。彼は、悲壮な運命のうちでも最も悲劇的な27分37秒を経験する。外界との唯一のつながりはこの長い年月の間しっかり支えてきてくれた訪問者。彼女が評決の内容を伝えに来る。
この最後の時間に、女達が濃密に登場する。男を人間として形成し、男の人生に深く跡を残した女達、そして決して踊ることのなかったアポロ。
めまぐるしいフラッシュバックと断続的に襲う錯乱のさなかで、男は自分の踊りを再び体験し、想像や夢想の中で女達と再会する。優しく寄り添う存在、愛情のこもった支え、或いは頭から離れない荒々しい性的対象などとなり...男の最後の心情に跡を残し、評決が明らかになる時まで、男の終わりの数歩を支える。評決の内容はどうであれ、この男のオリュンポスへの扉を開くものだ。


~関連公演~


春祭ジャーナルINDEXへ戻る

ページの先頭へ戻る