HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/02/14

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
刺激的な街、パリに育てられたドビュッシーの音楽
[ドビュッシーとその時代]

文・オヤマダアツシ(音楽ライター)

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズが大人気らしい。昭和33年を舞台にした第1作では、まだ建設途中で足だけが出現した東京タワーの姿も見ることができるが(もちろんCGである)、そんな時代の東京はもちろん知らない自分も不思議な感動をおぼえた。

EiffelTower.jpg

エッフェル塔

 1862年にパリの郊外で生まれ、5歳の時からパリの街に住んだクロード・ドビュッシーも、おそらく1887年頃に同様の風景を見たはずである。それはもちろん東京タワーではなく、1889年のパリ万国博覧会開催にあわせて建設が進められたエッフェル塔だ。先鋭的なデザインがパリっ子を驚かせたその鉄塔は、後に「嫌いな人間は(見なくてすむから)エッフェル塔に上れ」という有名なジョークも生み出すほど賛否両論うずまく中で完成した。否定派の一人にはオペラ座(ガルニエ宮)を設計したシャルル・ガルニエもおり、なんと彼は万国博覧会の開催に合わせて、エッフェル塔の真下に世界各国の住居を集合させた国際村を作り上げ、未来志向の万博を皮肉ったという。

 1889年のパリ万博には、日本も含めたアジアからも多くの国や地域が出店・出品。ドビュッシーは友人のポール・デュカスらと連れだってジャワ(インドネシア)のガムラン音楽や、ヴェトナムの演劇などを鑑賞している。パリでの万国博覧会は1900年にも開催され、エッフェル塔の近くには世界各地の建築物(五重塔、モスク、アンコールワットなど)を大集合させたアミューズメントパークが出現。街のあちこちに各国のパヴィリオンが建設され、パリにいながら世界旅行体験ができるほどだったという。

 ドビュッシーが生きた時代のパリはかくのごとく刺激的であり、多くのものからインスパイアされて音楽を生み出した。彼の音楽を聴きながら、その源泉が何であるのかを想像し、約1世紀前のパリに思いを馳せるのも一興だろう。音楽とはしばしば、妄想タイムトラヴェルの起動装置なのだから。


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