HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2018/09/18

バイロイト音楽祭2018「子どものためのワーグナー」
『ニーベルングの指環』公演レポート

東京・春・音楽祭が15回目を迎える2019年より、バイロイト音楽祭との提携でスタートする「子どものためのワーグナー」。今夏、現地で新制作上演された『ニーベルングの指環』公演の模様を、広瀬大介氏にレポートしていただきました。

文・広瀬大介(音楽学、音楽評論)


© Enrico Nawrath/Bayreuther Festspiele

ヴォータンを演じるユッカ・ラジライネン
©BF Medien GmbH / Enrico Nawrath

 ニュースによると、今年のドイツは観測史上2番目の猛暑とか。8月上旬には最高気温が40度を超える地方が現れ、とくに農作物が甚大な被害を受けた。日本の暑さに慣れた身には、猛暑とはいえ湿度の低いヨーロッパの夏はまったく凌ぎやすいのではあるが、むしろクーラーをはじめとする空調がほとんど対応していないことのほうに閉口してしまう。歴史的建造物であるバイロイト祝祭劇場にも、当然ながら空調はナシ。外の熱気がいったん劇場の中に入るとまったく逃げる余地がなく、あっという間に外気温よりも高くなる(ちなみに本公演では熱中症的な症状で倒れる観客が続出していた)。

 7月後半から8月前半にかけてバイロイト音楽祭の一環として開催された「子どものためのワーグナー」でも、状況は似たようなもの。会場は祝祭劇場ではなく、楽屋口近くに建てられているリハーサル用の小屋ではあるが、真横に長い構造のため、風はあまり通り抜けない。本公演の舞台はまずこの小屋に作られ、劇場へと移動した後に、この子ども用の舞台が作られている。この小屋を縦に二分割し、一方に舞台とオーケストラ、一方に階段状の客席が設えられていた。むせかえるような気温の中、大人には苛酷な環境だったが、子どもたちは元気いっぱい。地元の老若男女が続々と、嬉々として訪れていた。

© Enrico Nawrath/Bayreuther Festspiele

ラインの乙女
©BF Medien GmbH / Enrico Nawrath


 この公演を鑑賞するためにはインターネットでの事前申込が必要で、子ども4人までは無料。付き添いの大人がひとり増えるごとに、入場料が少しずつ増える仕組みを取っている。横長の小屋には左右に長い客席が設えられ、正面中央に立方体の箱とおぼしき舞台。この箱には観音開きの扉がついていて、劇の進行に応じて左右に開いたり閉じたりする。30人規模の室内オーケストラは舞台上手側に陣取るため、下手側に座った観客にとっては、音楽の迫力がやや減ることになるが、もともとそれほど広からぬ小屋のこと、さほど気にするほどのことはない。

© Enrico Nawrath/Bayreuther Festspiele

ラインの黄金を手に入れたアルベリヒ(アルミン・コラルチク)
©BF Medien GmbH / Enrico Nawrath

 公演は7月25日〜8月5日までの全11回。筆者が観劇した8月4日(土)だけは、11時開演のマチネ公演、16時開演のソワレ公演が設定されていた(それ以外の日はすべて11時開演)。普段は一作品だけを子ども向けにアレンジすることになるが、今回は『ニーベルングの指環』なので、対象は四部作すべて。1回の休憩を挟んで、前半が《ラインの黄金》《ワルキューレ》(約1時間)、後半が《ジークフリート》《神々の黄昏》(約1時間)。もちろん、その要素すべてを盛り込むことは不可能なので、まずは子どもが理解しやすいように、登場人物はヴォータン、ローゲ、フリッカ、アルベリヒ、フライア、ミーメ、ファーゾルト、ファーフナー、ラインの乙女たち、フンディンク、ジークリンデ、ジークムント、ブリュンヒルデ、ジークフリート、ハーゲンだけに限定されていた(それでもかなりのボリュームだが)。

© Enrico Nawrath/Bayreuther Festspiele

巨人族ファーゾルトとファーフナーの兄弟
©BF Medien GmbH / Enrico Nawrath

 音楽祭を主催するカタリーナ・ワーグナー、プロデューサーのマルクス・ラッチュによる作品の再構成、およびマルコ・ズドラレクによる編曲は、基本的にワーグナーの書いた音楽に余計なものを足すことはせず、楽曲の一部をそのまま切り取って(室内オーケストラ編成で)演奏し、合間を地の芝居でつないでいく、というもの。ワーグナーの音楽をなによりも大切に考える、バイロイトならではのアプローチと言うべきか。子どもたちが直接参加している、という感覚を味わえるよう、ライン川の波をかたどった布の端を持って動かしてもらったり、フンディンクが敢えて子どもたちに「ジークムントはどこに逃げた?」と問いかけたり、子どもを飽きさせないための工夫も随所に感じられる。


© Enrico Nawrath/Bayreuther Festspiele

客席の子どもたち
©BF Medien GmbH / Enrico Nawrath

 歌手たちは、バイロイト音楽祭で実際に舞台に立つベテランと若手がバランス良く配され、一切手抜きのない本格的な声を聴かせてくれる。ヴォータンを歌うユッカ・ラジライネン、ローゲ役のシュテファン・ハイバッハ、ジークムントとジークフリートを歌うヴィンセント・ヴォルフシュタイナーの優れた歌唱がとくに際立っていた。ブランデンブルク州立管弦楽団のメンバーは30人程度の室内楽編成ながら、ハープや打楽器などはそのままに、本来のワーグナー作品の大編成オーケストラの響きを見事に再現。指揮のアズィス・サディコヴィッチも、舞台を駆けずり回り、指揮を見る余裕などほとんどないであろう歌手のサポートを献身的にこなし、オーケストラからダイナミックなドラマを引き出していた。愛による救済、双子の兄妹の愛など、子どもがそのまま理解するには難しいテーマも数多く含む『リング』ではあるが、子どもたちの反応は総じて素晴らしく、目の前で繰り広げられる歌手の熱演に巻き込まれ、飽きる暇など与えない2時間であった。

© Enrico Nawrath/Bayreuther Festspiele

大蛇と戦うジークフリート(ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー)
©BF Medien GmbH / Enrico Nawrath

 バイロイト音楽祭との提携によって、来年は日本でも実現する「子どものためのワーグナー」。東京・春・音楽祭のオペラ本公演に合わせ、本公演と同じ演目が上演される予定となっている(日本公演では日本人歌手・オーケストラが登場する予定)。というわけで、2019年には『さまよえるオランダ人』、そして2020年には『トリスタンとイゾルデ』。日本の子どもたち、そして大人にも、ワーグナーの世界をより身近に、しかし本質的な部分は変えることなく見せてくれる、バイロイト流のやりかたを披露してくれるはずである。




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