HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2016/02/22

夢幻能《月に憑かれたピエロ》
~〈能〉と〈シェーンベルク〉月夜の出会い

文・小田島久恵(音楽ライター)

シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》

 アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)は、難解な作曲家のイメージが強い。若き日にはブラームスやワーグナーに傾倒し、のちにツェムリンスキーに師事しながらマーラーと音楽論を闘わせ、後期ロマン派の作風で作曲家としてのキャリアをスタートさせた。後期ロマン派の特色を残す《ペレアスとメリザンド》や《清められた夜》等の初期作品を経て、20世紀に入ったあたりから調性を脱し、無調音楽を志向するようになり、その後12音技法を創始していく。

 《月に憑かれたピエロ》が書かれたのは、音列技法を確立する前の無調音楽の時代に当たる。作品が完成した1912年は、師マーラーが没した翌年であり、その前後にストラヴィンスキーは《ペトルーシュカ》(1911)と《春の祭典』(1913)を初演し、音楽史的にもシンボリックな年だった。正式には《アルベール・ジローの「月に憑かれたピエロ」から三度の7つの詩》という。1884年に出版されたベルギーの詩人アルベール・ジローのフランス語詩をオットー・エーリヒ・ハルトレーベンがドイツ語訳したものから21点を選び、7点ずつ3部に分けて構成された。シェーンベルクは数秘術に凝っており、この作品では動機の音から演奏家の数まで「7」とその倍数にこだわったという。

初演から100年後に訪れた運命の出会い

中嶋彰子   ニルス・ムース     渡邊荀之助

 トータルでの演奏時間が約35分のこの歌曲集が、1時間の能とのコラボレーション「夢幻能《月に憑かれたピエロ》」として上演されたのは初演からちょうど100年後の2012年。ウィーンで国際的なソプラノ歌手として活躍する中嶋彰子が構成・演出を手掛け、指揮のニルス・ムース、オーケストラアンサンブル金沢、和楽器、地謡、シテ役の渡邊荀之助との共演で、自身がピエロ=コロンビーナを演じた。中嶋が構想した10年越しのプロジェクトであり、和と洋の幽玄がミックスした舞台は、冒険的でありながらシェーンベルクの作品のもととなった霊感を直観的につかんだ鮮やかなものであった。

 夢幻能は世阿弥が確立した様式で、現在能では主人公(シテ)が現実世界の人物であり、時間の経過に沿って対話的な言葉のやり取りによって物語が進行していくのに対し、夢幻能では神、鬼、亡霊など現実世界を超越した存在がシテとなって構成される。観客のイマジネーションによって舞台の美が完成する能のジャンルだ。台本は主に古典文学に素材を求められた。

 2012年の初演時のツアーでは、最終日のすみだトリフォニーでの公演を観た。能の「謡(うたい)」と、シェーンベルクが譜面に書いた「×」(その音程で歌わず話すように発声するという指定)が、様式を越えて響きあう舞台は、非常に大きなインパクトがあった。カーテンに映し出されるピエロのコケティッシュなシルエットと、シテ役の幽玄な舞いは刺激的なコントラストで、和笛とフルートの対話も遠く離れた和洋の二つの創造力がぶつかり合い、融和していく。照明と美術の果たす効果は大きく、満月、おぼろ月、ギロチンの派のような下弦の三日月(ピエロはこれに怯える)、狂気を帯びた赤い月がスクリーンに映し出され、夜ごと姿を変える「月」の変幻自在を妖しく表していく。巨大な満月にピエロの哀しげな表情が映し出された瞬間には、ゴシック・ロマン的な感興が沸き上がった。つねに片面しか地球に向けることのないミステリアスな月が表徴するものは、秘められたもの、無意識、頽廃、女、眠っているときに見る夢、異界...といったものなのかも知れない。ステージに映し出される様々な「月」もまた、この舞台の主役のひとりであった。

 

 中嶋彰子の(歌)声は、シェーンベルクの無調の旋律に演劇的な躍動感と、「香り」のような妖艶さを加え、ピエロの衣裳で演じられるパントマイム的な動きも表情豊かだった。オペレッタでの華やかなヒロイン役も印象的だが、シェーンベルクでは秘められた女性のミステリーを感じさせる、多彩な声を聴かせた。シテ役の渡邊荀之助は、ピエロの気配を感じながら一緒に舞台の上にいる。背中合わせになって、ゆっくり回ったりもする。音楽のような、舞いのような、朗読であり演劇でもあるマージナルな世界で、静寂の中にいくつもの驚きが浮き上がる。スクリーンには時折、原詩の内容を要約するような日本語も映し出され、音楽の幻想世界に親しみをプラスしていた。

 「あるものをないように、ないものをあるように」演じる日本の伝統である夢幻能と、ロマン派の調性音楽から前衛へ旅立ったシェーンベルクとの出会いは、遠くて近い必然の運命だった。これを実現した音楽家の、不可能を知らないコミュニケーション能力には驚愕せずにはいられない。この上演によってシェーンベルクは難解なエリート作曲家から、イマジネーションを分かち合うことで理解可能な、人間的なアーティストへと変貌した。



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