PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2011-

東京春祭マラソン・コンサートvol.1ウィーン、わが夢の街 ~マーラーが生きた世紀末ウィーン

プログラム詳細

2011:04:03:19:00:00

Photo: Satoshi Aoyagi, Rikimaru Hotta
■日時・会場
2011.4.3 [日] 11:00/13:00/15:00/17:00/19:00開演 ※各回約60分
東京文化会館 小ホール

第Ⅰ部 大作曲家ブラームスの晩年
第Ⅱ部 ワルツへの道~チェンバロによる《ウィンナ・ワルツ&オペレッタ!!》
第Ⅲ部 音楽家グスタフ・マーラー〜「私の時代が来るだろう」
第Ⅳ部 ウィーン、わが夢の街~マーラーの周りにいた作曲家たち
第Ⅴ部 新ウィーン楽派、誕生~音楽の新しい可能性を求めて


第Ⅰ部 11:00開演(10:45開場)
大作曲家ブラームスの晩年

ロマン派の黄昏―ウィーンに暮らしたブラームスの晩年の美しいピアノ・ソロの作品と、名曲クラリネット・ソナタをお届けします。古きよき時代のウィーン最後の大作曲家が残した作品を、ドイツ作品も得意とする伊藤恵と読響の首席奏者の藤井洋子が奏でます。
■出演
ピアノ:伊藤 恵
クラリネット:藤井洋子

■プログラム
ブラームス:
 3つの間奏曲 op.117 speaker.gif[試聴]
 4つの小品 op.119 speaker.gif[試聴]
 クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2 speaker.gif[試聴]
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第Ⅱ部 13:00開演(12:45開場)
ワルツへの道
~チェンバロによる《ウィンナ・ワルツ&オペレッタ!!》


世紀末のウィーン――街中で流行っていたのは軽妙でちょっと辛辣なオペレッタとウィンナ・ワルツ。チェンバロの名手、中野振一郎が楽器1つで、絶妙のトークを織り交ぜながら、ウィーンの舞踏会へと誘います。
■出演者
チェンバロ:中野振一郎

■プログラム
~宮廷舞踏への誘い~人気は3拍子~
L.クープラン:パッサカイユ ハ調
J.S.バッハ:《フランス組曲 第5番》ト長調 BWV816より
         「アルマンド」「クーラント」
ペッツォルト:
 メヌエット ト長調(伝:バッハ作)
 メヌエット ト短調(伝:バッハ作)

~レントラー、ワルツ誕生、そしてオペレッタ~
グルーバー:レントラー − モデラート「きよしこの夜」
ミレッカー:オペレッタ《ガスパローネ》より「カルロッタ・ワルツ」
ホイベルガー:オペレッタ《オペラ舞踏会》よりワルツ「別室へ行きましょう」
レハール:
 オペレッタ《針金細工師》よりワルツ「ふたりが愛し合っていれば」
 オペレッタ《ルクセンブルク伯爵》よりポルカ・フランセーズ
カールマン:オペレッタ《シカゴの公爵夫人》より
         「メアリーと一緒にちょっとスロー・フォックスを」
レハール:オペレッタ《メリー・ウィドウ》よりワルツ
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[アンコール]
モーツァルト:アレグロ K.1

第Ⅲ部 15:00開演(14:45開場)
音楽家グスタフ・マーラー〜「私の時代が来るだろう」

ウィーンで学び、各地の歌劇場を転々とした後、ついにウィーン宮廷歌劇場の監督に上り詰めたマーラー。みずみずしい作風の初期の室内楽作品とマーラーの弟子で指揮者としても有名なブルーノ・ワルターが連弾用に編曲した交響曲、そして、マーラーの歌曲の傑作をお届けします。
■出演
バリトン:河野克典
ピアノ:青柳 晋、伊藤 恵
ヴァイオリン:菅谷早葉(クァルテット・アルモニコ)
ヴィオラ:阪本奈津子(クァルテット・アルモニコ)
チェロ:富田牧子(クァルテット・アルモニコ)
(※当初発表の出演者より変更になりました)

■プログラム
マーラー:ピアノ四重奏曲(断片)イ短調 speaker.gif[試聴]
[青柳 晋(Pf)、菅谷早葉(Vn)、阪本奈津子(Va)、富田牧子(Vc)]
マーラー(ワルター編):交響曲 第1番 二長調《巨人》より第1楽章(4手ピアノ版)
[青柳 晋(Pf)、伊藤 恵(Pf)]
マーラー:《亡き子をしのぶ歌》speaker.gif[試聴]
         1. いま太陽は輝き昇る
         2. なぜそんなに暗い眼差しなのか、今にしてよくわかる
         3. おまえのお母さんが戸口から入ってくるとき
         4. ふと私は思うあの子たちはちょっと出かけただけなのだと
         5. こんな嵐の日に
[河野克典(Br)、伊藤 恵(Pf)]
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第Ⅳ部 17:00開演(16:45開場)
ウィーン、わが夢の街~マーラーの周りにいた作曲家たち

マーラーの周りには、R.シュトラウスをはじめ、共に学んだ友人のヴォルフ、マーラー作品の編曲も行い、親交があったシェーンベルク、マーラーの妻アルマの元恋人ツェムリンスキーなど多くの芸術家がいました。当時神童といわれたコルンゴルトの作品上演にもマーラーは力を貸したと言われています。そんな作曲家たちの歌曲を集めてお贈りします。
■出演
ソプラノ:天羽明惠
ピアノ:山田武彦

■プログラム
ヴォルフ:《メーリケ詩集》より「時は春」speaker.gif[試聴] 「妖精の歌」 speaker.gif[試聴]
R.シュトラウス:
 《6つの歌》op.68より「ささやけ、愛らしいミルテよ」
 《6つの歌》op.67より〈オフィーリアの歌〉speaker.gif[試聴]
         1. どうしたら本当の恋人を見分けられるだろう
         2. おはよう、今日は聖ヴァレンタインの日
         3. 彼女は布もかけずに棺台にのせられ
シェーンベルク:
《シュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」よりの15の詩》op.15より speaker.gif[試聴]
         1.しげった葉陰で
         3.あなたの垣の中に新参者として私は入った
         4.私の唇が動かず燃えるので
         9.私たちにとって幸福はつらく、もろい
         10.待ちこがれて私は美しい花壇をみつめる
ツェムリンスキー:
 《6つの歌曲》op.22より「妖精の歌」speaker.gif[試聴]「民謡」
 《ばらのイルメリンとその他の歌》op.7より「ばらのイルメリン」speaker.gif[試聴]
コルンゴルト:《3つの歌》 op.22 speaker.gif[試聴]
         1. 君は私にとって?
         2. 君とともに沈黙する
         3. 世は静かな眠りに入った
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[アンコール]
ズィーチンスキー:ウィーン、わが夢のまち

第Ⅴ部 19:00開演(18:45開場)
新ウィーン楽派、誕生~音楽の新しい可能性を求めて

無調音楽を生み出し、現代音楽への足がかりとなった新ウィーン楽派の作曲家たち。ロマン派の香りが色濃く残る美しい旋律のヴェーベルンの初期の作品。ベルクの名作、抒情組曲には、ツェムリンスキーの抒情交響曲からの旋律の引用や、ボードレールの「悪の華」をゲオルゲが独訳した詩が書き添えられた楽章があります。そしてデーメルの詩「浄夜」から独特の世界を作り出したシェーンベルクの傑作をお聴きいただきます。
■出演
ヴァイオリン:松原勝也
チェロ:河野文昭
ピアノ:青柳 晋
弦楽四重奏:クァルテット・アルモニコ
          ヴァイオリン:菅谷早葉、生田絵美
          ヴィオラ:阪本奈津子
          チェロ:富田牧子

■プログラム
ヴェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章 speaker.gif[試聴]
ベルク:《抒情組曲》より第4楽章、第6楽章
[クァルテット・アルモニコ]
ツェムリンスキー:《リヒャルト・デーメルの詩による幻想曲集》 op.9 speaker.gif[試聴]
         1. 夕べの声
         2. 森の喜び
         3. 愛
         4. かぶと虫の歌
[青柳 晋(Pf)]
シェーンベルク(シュトイアーマン編)
 《浄められた夜》op.4(ピアノ三重奏版) speaker.gif[試聴]
[松原勝也(Vn)、河野文昭(Vc)、青柳 晋(Pf)]
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【試聴について】
speaker.gif[試聴]をクリックすると外部のウェブサイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」へ移動し、
プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。
ただし試聴音源の演奏は、「東京・春・音楽祭」の出演者および一部楽曲で編成が異なります。


出演者

ヴァイオリン:松原勝也 Violin: Katsuya Matsubara 東京藝術大学在学中に安宅賞受賞。クライスラー国際コンクール等で上位入賞。新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターを歴任。無伴奏リサイタルシリーズ、ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏、武満徹室内楽作品全曲演奏等、幅広く活動を展開している。第17回中島健蔵音楽賞、第55回文化庁芸術祭新人賞受賞。東京藝術大学准教授。

ヴァイオリン:松原勝也 Violin: Katsuya Matsubara

チェロ:河野文昭 Cello: Fumiaki Kono 京都市立芸術大学卒業。ロサンゼルス、ウィーンで研鑽を積む。黒沼俊夫、G.ライトー、A.ナヴァラの各氏に師事。第50回日本音楽コンクールチェロ部門第1位、大阪府文化祭賞、京都府文化賞功労賞等を受賞。独奏者としての活動に加え、アンサンブル of トウキョウ、紀尾井シンフォニエッタ東京、岡山潔弦楽四重奏団等のメンバーとして国内外に幅広く演奏活動を行う。東京藝術大学教授、中国天津音楽学院客員教授。

チェロ:河野文昭 Cello: Fumiaki Kono

クラリネット:藤井洋子 Clarinet: Yoko Fujii フランス国立パリ高等音楽院クラリネット科、室内楽科をそれぞれ一等賞を得て卒業。第1回日本クラリネットコンクール1位、第2回日本管打楽器コンクール第2位(1位なし)、トゥーロン国際コンクール銀メダル。新日本フィルハーモニー交響楽団副首席奏者を経て現在、読売日本交響楽団首席奏者。

クラリネット:藤井洋子 Clarinet: Yoko Fujii

ピアノ:青柳 晋 Piano: Susumu Aoyagi ニカラグア生まれ。米国で5歳からピアノを始める。9歳でオーケストラデビュー。全日本学生音楽コンクール1位。19歳のときベルリン芸術大学留学。ロン・ティボー国際コンクール入賞後、ハエン、アルフレード=カセッラ、ポリーノ等の国際ピアノコンクールで1位。オーケストラとの共演多数。東京藝術大学准教授。

青柳 晋公式サイト http://www.susumuaoyagi.com/

ピアノ:青柳 晋 Piano: Susumu Aoyagi

ピアノ:伊藤 恵 Piano: Kei Itoh 1983年ミュンヘン国際コンクール優勝。強靭なテクニックと構成力は正統派ピアニストとして国際的に高く評価され、国内外の多くの定期公演に招かれる。20年にわたりシューマンのピアノ作品集全曲をシリーズで録音(フォンテック)。日本ショパン協会賞、横浜市文化賞奨励賞受賞。東京藝術大学准教授。

伊藤 恵公式サイト http://kei-itoh.com/

© Akira Muto

ピアノ:伊藤 恵 Piano: Kei Itoh

ピアノ:山田武彦 Piano: Takehiko Yamada 東京藝術大学大学院卒業後、パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科に入学。同クラスの7種類の卒業公開試験を、審査員満場一致により首席で一等賞を得て卒業。これまでに多くの演奏家と共演し、厚い信頼を得ている。自らのプロデュースによる音楽活動も多数。2007年より「山田武彦ピアノ伴奏塾」(洗足学園)を開講。

© Wataru Sato

ピアノ:山田武彦 Piano: Takehiko Yamada

チェンバロ:中野振一郎 Cembalo: Shinichiro Nakano 桐朋学園大学卒。ヴェルサイユ、バークレーの古楽音楽祭やライプツィヒ・バッハ・フェスティバル他、多数の音楽祭に出演。ギルバート、ファン・アスペレンと共に「世界の9人のチェンバリスト」に選出される。2009年度レコードアカデミー賞受賞。2010年、音楽之友社より『チェンバロをひこう~憧れの楽器をはじめるための名曲集~』を出版。

© 稲見伸介

チェンバロ:中野振一郎 Cembalo: Shinichiro Nakano

ソプラノ:天羽明惠 Soprano: Akie Amou ソニア・ノルウェー女王記念コンクール優勝。ベルリン州立歌劇場、ドレスデン州立歌劇場、ベルリン・コーミッシェ・オーパー等に出演。国内でも主要オーケストラの公演においてサヴァリッシュ、デュトワ、小澤征爾らと共演。1999年度アリオン賞、2003年新日鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞受賞。

天羽明惠公式サイト http://www.ss.iij4u.or.jp/~amo/soprano/

© Akira Muto

ソプラノ:天羽明惠 Soprano: Akie Amou

バリトン:河野克典 Baritone: Katsunori Kono 山口県出身。東京芸術大学、同大学院修了後、ドイツ政府給費留学生としてミュンヘン音楽大学で学ぶ。ジュネーブ国際コンクール第2位、ヘルトゲンボシュ国際コンクール第1位、ザルツブルク市賞受賞。ヨーロッパでのリサイタルはもとより、オペラ、オーケストラ、宗教曲の公演に数多く出演。日本の主要オーケストラにおいて、小澤征爾、大野和士、クルト・マズア、ガリー・ベルティーニ、ユベール・スダーン等の著名指揮者と数多く共演。特にマーラーのオーケストラ歌曲や宗教曲に定評をもつ。オペラでは、リヨン、オランダの歌劇場、新国立劇場、藤原歌劇場団公演に出演を重ねる。自ら企画する『リサイタル・シリーズ』ではその実力と構成力を高く評価され、芸術祭優秀賞受賞。2008年「マーラーの世界」は沼尻竜典指揮N響(サントリーホール)と大成功をおさめ、ライブ録音をリリース(エクストン)。09年より「歌の旅」リサイタル・シリーズを開始。CDは『冬の旅』(ナミ・レコード)、日本歌曲集『この道~ふるさとの歌』(カメラータ・トウキョウ)等リリース。 現在、横浜国立大学、東京藝術大学等で後進の指導にあたっている。山口県「山口ふるさと大使」。

© Akira Muto

バリトン:河野克典 Baritone: Katsunori Kono

クァルテット・アルモニコ QUARTETTO ARMONICO ヴァイオリン:菅谷早葉、生田絵美/ヴィオラ:阪本奈津子/チェロ:富田牧子

1995年、東京藝術大学在学中に結成され、4年間ウィーンで研鑽を積んだクァルテット・アルモニコ。第4回シューベルト国際コンクール優勝を始め、数々の国際室内楽コンクールで高い評価を得て帰国。2007年からは毎年定期公演を開催。4人が一つの楽器のように歌う瑞々しい演奏で、毎回観客を魅了している。

© M.Ozaki

クァルテット・アルモニコ QUARTETTO ARMONICO

■曲目解説

《第Ⅰ部》
ブラームス:3つの間奏曲 op.117
 1892年に作曲。作曲者が「自分の苦悩の子守歌」と語った。3曲とも晩年の特徴の一つである、比較的遅いテンポでまとめられている。ドイツ・ロマン派の詩人ヘルダーの詩が冒頭に引用された第1曲は、我が子を亡くした不幸な母の子守歌(変ホ長調から始まり、徐々に短調へと転調していく)。第2曲は、寂し気な雰囲気がさらに増し、対位法的な要素が見られる変ロ短調の音楽。広がりが少なく閉鎖的な嬰ハ短調の旋律、シンコペーションと音程の跳躍によって複雑化した中間部が印象的な第3曲は、マックス・カルベック(ブラームスの伝記を最初に執筆した音楽評論家)によると、ヘルダーの詩「おお悲しいかな、谷底に」がモットーになっているという。

ブラームス:4つの小品 op.119
 1893年に作曲。複雑な和声を用いたロ短調の第1曲、変奏曲の達人としてのブラームスが垣間見られるホ短調の第2曲、一転して明るくユーモラスなハ長調の第3曲(以上3曲は「間奏曲」と記されている)。第4曲は「ラプソディ」とされ、明るく決然とした変ホ長調(A)、暗く情熱的なハ短調(B)、荘重な変イ長調(C)という3つの部分が、A-B-C-B-Aのアーチ型をかたちづくる。再度現れたAの部分は、転調を経て変ホ短調で激しく閉じられる。

ブラームス:クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2
 晩年は創作意欲の衰えに悩まされ、一時は作曲活動を中断し、遺書の用意まで試みたブラームスだが、1891年、クラリネット奏者のリヒャルト・ミュールフェルトとの出会いが、再び彼を作曲へと駆り立てた。三重奏曲op.114、五重奏曲op.115とクラリネットを用いた室内楽を発表したのち、最終的に書き上げたのが2曲のクラリネット・ソナタop.120である。情熱的なヘ短調の第1番に対し、この第2番では若干の安らぎが感じられる。甘い雰囲気の第1楽章、活発な第2楽章、巧みな対位法が駆使された変奏曲の第3楽章と、ブラームスの真骨頂が凝縮された名作である。


《第Ⅱ部》
L.クープラン:パッサカイユ ハ調  ルイ・クープラン(1626頃-61)は、“大クープラン”ことフランソワ・クープランの叔父にあたる初期フランス・バロック音楽の作曲家・オルガニストで、クラヴサン(チェンバロ)の作品を数多く残している。今日、パッサカイユ(=パッサカリア。シャコンヌとも同義に扱われる)は、低音部に現れる音型や和音を用いた変奏曲の呼称であるが、17世紀までは快活な3拍子系の舞曲を指していた。  この作品は、フランス風シャコンヌに見られるロンド形式を用いており、格調高い主題部、主題の変奏部、主題の再現による終結部から構成されている。

J.S.バッハ:《フランス組曲 第5番》ト長調 BWV816より「アルマンド」「クーラント」
 J.S.バッハが《フランス組曲》と銘打ったクラヴィーア作品は全部で6曲あり、この第5番は1724年もしくは25年の作曲。全6曲のなかでも入念な筆致が特徴的で、作曲者後年の作と推察されている。第1曲「アルマンド」は明快で華やかな前奏曲風の作品。第2曲「クーラント」は活発な3拍子の舞曲。なお、この組曲は全7曲から成る。

ペッツォルト:メヌエット ト長調(伝:バッハ作)
ペッツォルト:メヌエット ト短調(伝:バッハ作)

 これら2作品は、J.S.バッハの妻であったアンナ・マグダレーナの《アンナ・マグダレーナの音楽帳》に記載されていたことで、永らくバッハの作品とされてきた。しかし20世紀中頃、ドイツの音楽学者ハンス=ヨアヒム・シュルツェ(1934-)によって、実はクリスティアン・ペッツォルト(1677-1733)の作品であることが判明した。明るく愛らしさを感じさせるト長調、いっぽうト短調のメヌエットは、同様の形式と反復音形を用いつつも、どこかもの寂しさを感じさせる。バッハの作品ではないことが分かった今日でも、この2曲は広く親しまれている。

グルーバー:レントラー - モデラート「きよしこの夜」
 レントラーとは、ドイツの南部圏に起源を持つ3拍子の民俗舞踊。クリスマス・キャロルの名曲として名高いこの作品は、ヨゼフ・モール(生没年不詳)のドイツ語の詞に、フランツ・クサーヴァー・グルーバー(1787-1863)が音楽を付けたもの。
 クリスマス・イヴの前日に教会のオルガンが壊れたため、モールが「ギターでも伴奏できる作品を」と、急きょグルーバーに作曲を依頼したという。1818年12月25日、オーストリア・オーベルンドルフの聖ニコラウス教会にて初演。

ミレッカー:オペレッタ《ガスパローネ》より「カルロッタ・ワルツ」
 カール・ミレッカー(1842-99)はウィーンに生まれ、同地に没した生粋の「ウィーンっ子」と言える作曲家。歌劇場のフルート奏者としてキャリアをスタートしたが、スッペにその才能を認められ、アン・デア・ウィーンの指揮者として活躍。同時に《乞食学生》などの作品でオペレッタ作曲家としても大きな成功を収めた。
 《ガスパローネ》は1884年の初演。裕福な未亡人カルロッタと、シチリアの海賊ガスパローネの名を利用して彼女の財産を奪おうとする市長ナゾーニらの騒動を描いた喜劇。

ホイベルガー:オペレッタ《オペラ舞踏会》よりワルツ「別室へ行きましょう」
 リヒャルト・ホイベルガー(1850-1914)はオーストリアの作曲家。指揮者や評論家としても活躍し、ウィーン音楽院で教鞭もとった。その門下からは名指揮者クレメンス・クラウスらを輩出するなど、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ウィーンの楽壇で大きな影響力を持っていた。
 《オペレッタ舞踏会》は1898年の初演。舞台は19世紀のパリ。二人の若妻が互いの亭主の浮気度を試し、そこで巻き起こる騒動を描いた全4幕の喜劇。

レハール:オペレッタ《針金細工師》よりワルツ「ふたりが愛し合っていれば」
レハール:オペレッタ《ルクセンブルク伯爵》よりポルカ・フランセーズ
レハール:オペレッタ《メリー・ウィドウ》よりワルツ

 「ウィンナ・オペレッタ “銀の時代”」を代表する作曲家フランツ・レハール(1870-1948)は、1905年発表の代表作《メリー・ウィドウ》で一躍有名となったが、その後は徐々に作風を転換していった。彼は1925年発表の《パガニーニ》以降、後期の代表作《微笑みの国》などで、それまでのウィンナ・オペレッタにはなかった「悲劇」を書き、オペレッタに新たな可能性をもたらした。
 今回演奏される3曲はいずれも喜劇で、《針金細工師》は1902年、《ルクセンブルク伯爵》は1909年、《メリー・ウィドウ》は1905年と、レハールの人気絶頂期の作品である。ここで聴かれる甘く美しい旋律はレハールの真骨頂と言え、今なお世界中の人々を魅了し続けている。

カールマン:オペレッタ《シカゴの公爵夫人》より「メアリーと一緒にちょっとスロー・フォックスを」
 エメリヒ・カールマン(1882-1953)は、ハンガリー出身のオーストリアの作曲家。ピアニストを目指したが関節炎の影響で断念し、フランツ・リスト音楽院で作曲を学んだ(このとき、バルトークやコダーイと同窓生になった)。ウィンナ・ワルツと母国ハンガリーの舞曲チャールダーシュを融合した彼の作品は、各地で好評を博し、前述のレハールとともに「ウィンナ・オペレッタ “銀の時代”」を代表する作曲家として名声を得た。
 《シカゴの公爵夫人》は1928年にウィーンで初演。アメリカ初演はその翌年。ジャズやフォックストロットなど、当時最先端だったアメリカ音楽の要素を取り入れ、レハールとはまた違った手法でオペレッタの可能性を追求した。


《第Ⅲ部》
マーラー:ピアノ四重奏曲(断片)イ短調  マーラーがウィーン音楽院在学中の16歳のとき、作曲科の試験のための提出作品として書かれ、第1楽章を想定したと思われるソナタ形式の断片のみが完成。なお、他の楽章で用いる予定だったト短調のスケルツォも、24小節分の草稿が残されており、後年、ロシアの作曲家シュニトケによって補筆完成された(正確にはマーラーの素材を用いた「作曲」と言ったほうが適切と思われる)。シューベルトやブラームスのロマンティシズムを彷彿とさせつつも、のちのマーラーに見られるペシミスティックな楽想を併せ持っている。

マーラー(ワルター編):交響曲 第1番 二長調《巨人》より第1楽章(4手ピアノ版)
 言わずと知れたマーラー最初の交響曲であるが、この編曲は、1889年の初稿から二度の改訂を経て現在のかたちに落ち着いた1896年、出版元のヴァインベルガー社の依頼によって作成された(その際、交響曲第2番《復活》の編曲も依頼されている)。マーラーは、彼のアシスタントであった当時20歳のブルーノ・ワルターを推薦し、全ての作業を彼に任せた。
 原曲の弦楽器によるA音の持続がそのまま長い全音符で書かれるなど、非ピアニスティックと感じられる部分もあるが、複雑なテクスチュアを可能な限り明瞭に響かせる工夫が随所に見られる。

マーラー:《亡き子をしのぶ歌》
 1. いま太陽は輝き昇る
 2. なぜそんなに暗い眼差しなのか、今にしてよくわかる
 3. おまえのお母さんが戸口から入ってくるとき
 4. ふと私は思う、あの子たちはちょっと出かけただけなのだと
 5. こんな嵐の日に

 マーラーが終生好んだ詩人フリードリヒ・リュッケルト(1788-1866)の同名の詩集にもとづく歌曲集。リュッケルトは2人の愛児の死に直面したことで、400篇以上に及ぶ詩を書き上げたという(マーラーもまた、本作を作曲した4年後の1907年、長女マリア・アンナを亡くした)。
 第1曲は愛児を失った翌朝の父親の心境を、第2曲では運命への諦念を歌う。第3曲はリュッケルトの詩を2つにまとめた、母の嘆きの歌。第4曲の旋律の一部は、第9交響曲の最終楽章に自ら引用したことでも知られている。第5曲では、嵐のなかで子供の葬儀に直面した感情が激しく歌われるが、やがて曲は安らかに結ばれる。


《第Ⅳ部》
ヴォルフ:《メーリケ詩集》より「時は春」「妖精の歌」  近代ドイツ・リートの巨匠フーゴー・ヴォルフ(1860-1903)は、梅毒の影響による精神障害で43年の生涯を閉じるまでに、数多くの歌曲を発表した(歌曲以外の作品はごくわずかである)。この《メーリケ詩集》は彼の絶頂期にあたる、1888年の作品。  ドイツのロマン主義の詩人エドゥアルト・メーリケ(1804-75)は多くの作曲家に霊感を与え、シューマン、ブラームス、ベルクなどが彼の詩をもとにリートを作った。ヴォルフの《メーリケ詩集》は全53篇から成り、「時は春」は春の喜びを表した流麗な分散和音の伴奏に、朗々たる歌が乗せられる。「妖精の歌」はメーリケが1832年に出版した小説『画家ノルテン』の劇中劇第13景において、妖精の子どもたちが口ずさむ歌。夜更けに目覚めた妖精の行動を描写的に表現した伴奏と、歌の可愛らしい表情付けが印象的な作品である。

R.シュトラウス:《6つの歌》op.68より「ささやけ、愛らしいミルテよ」
 1918年、すでに名声を確立していたリヒャルト・シュトラウスが、ドイツ・ロマン派後期の詩人クレメンス・ブレンターノ(1778-1842)の詩に作曲。「ささやけ、愛らしいミルテよ」はその第3曲で、古来純潔の象徴とされるミルテ(日本名:ギンバイカ)の花に寄せて、恋人への想いを歌う。

R.シュトラウス:《6つの歌》op.67より〈オフィーリアの歌〉
 1. どうしたら本当の恋人を見分けられるだろう
 2. おはよう、今日は聖ヴァレンタインの日
 3. 彼女は布もかけずに棺台にのせられ

 1919年に作曲された《6つの歌》は、第1部と第2部に分かれており、第1部はシェイクスピアの『ハムレット』においけるオフィーリアの狂気の歌をテクストとしている(ちなみに第2部はゲーテの『西東詩集』から「不満の書」を用いている)。第1曲は不気味で表現主義的な色合いが濃く、第2曲では際どい性的表現が捲し立てるように歌われる。第3曲では躁鬱的とも言える曲想の切り替わりが、テクストの内容に沿って展開される。

シェーンベルク:《シュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」よりの15の詩》op.15より
 シュテファン・ゲオルゲ(1868-1933)は、ドイツの象徴主義を代表する詩人で、生涯にわたりヨーロッパ各地を放浪しながら詩作を続けた。
 シェーンベルクはその創作の初期から、ゲオルゲの詩に大きなインスピレーションを得ていた。例えば《弦楽四重奏曲第2番》では、ゲオルゲの詩にソプラノ独唱を付けるアイデアを生み出すなど、数々の独創的な作品の源泉となったゲオルゲの存在は、シェーンベルクの創作を語るうえで欠かすことができない。
 本作《シュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」よりの15の詩》では、シェーンベルクが前作《2つの歌》で用いた無調的な音楽語法がさらに推し進められている。無調音楽を作曲していた頃のシェーンベルクは、表現主義的な傾向の強い作品を残しているが、本作に関しては、詩のイメージもあってか、美しい抒情性が際立っている。今回は、第1曲「しげった葉陰で」、第3曲「あなたの垣の中に新参者として私は入った」、第4曲「私の唇が動かず燃えるので」、第9曲「私たちにとって幸福はつらく、もろい」、第10曲「待ちこがれて私は美しい花壇をみつめる」を採り上げる。

ツェムリンスキー:《6つの歌曲》op.22より「妖精の歌」「民謡」
 アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)は後述するコルンゴルトの師であり、指揮者としても活躍した。また、マーラーの妻となったアルマ・シントラーとは師弟関係を越えた仲でもあったが、周囲の圧力などにより、その想いを断ち切った経緯がある。
 1933年、ナチスの台頭にともないウィーンへと逃れたツェムリンスキーは、1938年のアメリカ亡命まで、公職に就かず作曲に専念した。1934年に作曲されたこの歌曲集は、以前は巧みなメロディラインを重視していたツェムリンスキーが、それとは正反対に素っ気ない表情付けを施したことで、彼の歌曲創作の転換点とも言われている。第4曲「妖精の歌」はゲーテ(1749-1832)の詩により、人の寝静まった真夜中に妖精が歌い踊る様が描かれている。第5曲「民謡」は『絞首台の歌』などで知られるドイツの詩人クリスティアン・モルゲンシュテルン(1871-1914)の詩による。

ツェムリンスキー:《ばらのイルメリンとその他の歌》op.7より「ばらのイルメリン」
 1900年頃作曲されたこの歌曲集は、デーメルやモルゲンシュテルンら4人の詩人のテクストを使用している。タイトルにもなっている第4曲「ばらのイルメリン」は、イェンス・ペーター・ヤコブセンのデンマーク語の詩を、ローベルト・アルノルトがドイツ語に訳したもので、ディーリアスやニールセンを始め、多数の作曲家が付曲したことでも知られる。ツェムリンスキーの本作は、簡素な伴奏と美しい歌が、半音階的な転調の連続により変容していく様が印象的(ここでの半音階的な作曲技法は、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》を彷彿とさせる)。なお、この作品はアルマ・シントラー(のちのマーラー夫人)に捧げられている。

コルンゴルト:《3つの歌》op.22
 1. 君は私にとって?
 2. 君とともに沈黙する
 3. 世は静かな眠りに入った

 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)は「モーツァルトの再来」と言われたほどの神童で、9歳のとき作曲したカンタータはマーラーをも驚愕させ、30歳を前にすでにヨーロッパで名声を確立していた。しかしユダヤ人だった彼は、ナチスの台頭によりアメリカへ亡命。それ以後は主にハリウッドで映画音楽の作曲家として活動した。
 《3つの歌》は1928年から翌年にかけて作曲。第1曲は女流詩人ファン・デア・ストラーテのテクストによる。第2曲はカール・コバルトの詩を用いた、半音階的手法が巧みな曲。第3曲もコバルトの詩をもとに、抒情に満ちた世界を表現している。なお、この歌曲集はコルンゴルトの母に献呈されている。


《第Ⅴ部》
ヴェーベルン:弦楽四重奏のための緩徐楽章  ヴェーベルンは1904年からシェーンベルクに作曲を師事したが、1905年に完成された本作は、彼が無調および12音技法を取り入れる以前の作品。同時期に作曲されたオーケストラのための《夏風の中で》同様、後期ロマン派の香りが濃く、ブラームスの室内楽にも通じるスタイルが感じられる。  なお、シェーンベルクのもとで学び、最初に生み出された作品が《管弦楽のためのパッサカリア》であり、そこから彼の作曲人生の第2期が始まった。その結果として、若き日の習作は作品番号も与えられず、半ば埋もれたかたちになっていたが、1960年代になり、ドイツの音楽学者ハンス・モルデンハウアーが紹介・出版し、世に広まった。

ベルク:《抒情組曲》より第4楽章、第6楽章
 1925年5月、プラハを訪れたベルクは、マーラーの元夫人アルマの紹介により、ハンナ・フックス=ロベッティンという女性と知り合った(ハンナは、アルマの3度目の結婚相手である詩人ヴェルフェルの姉であった)。ベルクとハンナはやがて相思相愛となったが、互いに家庭を持つ身ゆえ、この恋は遂げられざるままに終わった。しかし、このときの体験がもととなり、《抒情組曲》が生まれた。
 全6楽章からなる《抒情組曲》は、部分的にではあるがベルクが初めて12音技法を取り入れた作品であり、自身とハンナのイニシャルによる音名象徴など、当時のベルクの心情にまつわる暗喩が散見される。
 第4楽章はアダージョ・アパッショナート(情熱的なアダージョ)と銘打たれた無調の楽章で、盟友ツェムリンスキーの代表作《叙情交響曲》の一部が引用されている。第6楽章のラルゴ・デソラート(悲嘆のラルゴ)は12音技法による楽章。手稿譜には、ボードレールの『悪の華』より「奈落より我は叫びぬ」のテクストが書き添えられており、それを用いた声楽パート付ヴァージョンも存在する。音楽的には、《トリスタンとイゾルデ》の序奏部が引用されている。

ツェムリンスキー:《リヒャルト・デーメルの詩による幻想曲集》op.9
 1. 夕べの声
 2. 森の喜び
 3. 愛
 4. かぶと虫の歌

 リヒャルト・デーメル(1863-1920)はドイツの詩人。彼の詩は、レーガー、R.シュトラウス、シェーンベルクやヴェーベルンといった作曲家たちを魅了し、多くの楽曲を生み出す源泉となった。
 ツェムリンスキーもまた、デーメルの詩に魅せられた一人で、《ばらのイルメリンとその他の歌》など、デーメルを素材とした作品を数多く発表した。
 《リヒャルト・デーメルの詩による幻想曲集》は1899年、ウィーン・カール劇場の楽長に就任した年に作られた、4曲から成る小品集。随所に和声的な工夫を凝らしつつも、ツェムリンスキーのなかでは明快な作品と言える。

シェーンベルク(シュトイアーマン編):《浄められた夜》op.4(ピアノ三重奏版)
 初期のシェーンベルクを代表する傑作として知られる弦楽六重奏曲《浄められた夜》。この作品には作曲者による弦楽合奏版が2種(1917年と1943年の編曲)残されているほか、彼の弟子でピアニストでもあったエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)によるピアノ三重奏版も存在する。シュトイアーマンは《月に憑かれたピエロ》やピアノ協奏曲の初演時にピアニストを務め、シェーンベルクが主宰した「私的演奏協会」でも重要な役割を担った。
 「月下のもとで交わされる、男女の愛の語らい」を描いたデーメルの叙情性は、編成を置き換えても失われることなく、むしろピアノを用いたことで激情的な部分が際立つ結果となり、非常に印象的である。


主催:東京・春・音楽祭実行委員会

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