PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2010-

《カルミナ・ブラーナ》 

巨匠ムーティ、華々しく活躍するスター歌手たち、在京オーケストラで活躍する名手たちを中心に編成されたオーケストラ、そして、ムーティが再共演を強く望んだ東京オペラシンガーズ。最高のキャストによる圧倒的高揚感に満ちた《カルミナ・ブラーナ》を感じてください。

プログラム詳細

2010:04:10:18:00:00

Photo: Satoshi Aoyagi
■日時
2010.
4/9(金) 19:00(18:00開場)
4/10(土) 18:00(17:00開場)

■会場
東京文化会館 大ホール

■出演
指揮:リッカルド・ムーティ
ソプラノ:デジレ・ランカトーレ
カウンター・テナー:マックス・エマヌエル・ツェンチッチ
バリトン:リュドヴィク・テジエ
管弦楽:東京春祭特別オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ
児童合唱:東京少年少女合唱隊
合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ
児童合唱指揮:長谷川久恵

■曲目
モーツァルト:交響曲第35番 二長調 K.385 《ハフナー》 speaker.gif[試聴]
オルフ:世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》(字幕付) speaker.gif[試聴]
曲目解説はこちら


【試聴について】
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プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。
ただし試聴音源の演奏家は、「東京・春・音楽祭」の出演者とは異なります。



指揮者リッカルド・ムーティと作曲者カール・オルフの、《カルミナ・ブラーナ》上演時のエピソードです。

ベルリンでは、《カルミナ・ブラーナ》はすでに1941年、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮によりベルリン国立歌劇場で演奏されていた。もうひとつの歴史的な公演が行われたのは1980年、フィルハーモニーでのことだった。リッカルド・ムーティが指揮するベルリン・フィルが、作曲者カール・オルフの85歳の誕生日を祝い、《カルミナ・ブラーナ》を演奏したのである。オルフはひどく体調を崩していたのだが、医師の心配をよそにベルリンまで足を運び、演奏会が『割れんばかりの拍手と大喝采』(ターゲスシュピーゲル紙)のうちに幕を閉じるのを、自らの目と耳で確かめた。オルフ自身はこの夜の出来事にいたく感動し、『二度目の世界初演だとまで語り、この演奏を反映させるようにスコア上の速度記号をすべて書き換えることにした。』

『Orff today(2006)』より


出演者

指揮:リッカルド・ムーティ Riccardo Muti ナポリ生まれ。サン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院にてヴィンセンツォ・ヴィターレのもとでピアノを学び、優秀な成績で卒業した。その後、ミラノにあるジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でブルーノ・ベッティネッリとアントニーノ・ヴォットに師事し、作曲と指揮で学位を取得した。1967年、ミラノでのグイド・カンテルリ国際指揮者コンクールにおいて、権威ある審査員たちから満場一致で優勝の栄誉を与えられ、批評家たちの注目を集めることとなる。
翌年には、フィレンツェ五月音楽祭(フィレンツェ歌劇場)の首席指揮者に任命され、1980年までその任を務めた。1971年には、カラヤンに招かれてザルツブルク音楽祭に初登場。それ以来何度も出演を重ね、2001年には、この名誉あるオーストリアの音楽祭との素晴らしい芸術的コラボレーションが30周年を迎えた。1970年代には、オットー・クレンペラーの後を継いでロンドンのフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者(1972年から1982年)を務め、1980年から1992年までは、ユージン・オーマンディの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務めた。
1986年から2005年までは、ミラノ・スカラ座の音楽監督として、モーツァルトのダ・ポンテ三部作やワーグナーの《リング》チクルスなどの重要なプロジェクトを手がけた。また、レパートリーである古典の名曲と平行して、演奏される機会の少ない作品や顧みられることのない作品も取り上げた。その中には、18世紀ナポリ楽派の作品やグルック、ケルビーニ、スポンティーニのオペラ、また最近のものでは、《カルメル会修道女の対話》の作曲家であるプーランクのオペラなどの秀逸な作品が含まれている。中でも《カルメル会修道女の対話》では、批評家たちから栄誉あるアッビアティ賞を授与された。スカラ座の音楽監督として過ごした長い年月は、2004年12月7日、修復がなされたスカラ座の輝かしい再開を祝う、サリエリの《見出されたエウローパ》の公演で最高潮に達した。これは1778年のスカラ座のこけら落としでも上演された作品である。並はずれた経歴の中で、これまでに世界中の一流オーケストラのほとんどを指揮しており、その中にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、フランス国立管弦楽団、そして当然ながら、1971年以来ザルツブルク音楽祭で共演してきたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はとりわけ強く大切な絆で結ばれており、創立150周年記念コンサートを指揮するために招かれた際には、特別な感謝と愛情の印としてオーケストラから「金の指輪」を贈られた。これは選ばれたごく少数の指揮者にしか与えられない栄誉である。
2003年4月には、フランスの国立ラジオ放送、France Musiqueが、「Journé Riccardo Muti」と題された番組を放送し、これまでに指揮をしてきたすべてのオーケストラとのオペラやコンサートの録音を14時間にわたって紹介した。また同年の12月14日には、待望の再建を果たしたヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場のこけら落とし公演を指揮した。
2004年には、イタリア全土から応募した600人もの演奏家の中から国際委員会が選んだ若手演奏家で構成される“ルイジ・ケルビーニ”ユース・オーケストラを設立。2007年5月より3年間、同オーケストラと共に、ザルツブルク聖霊降臨音楽祭で、18世紀のナポリ学派の作品を上演した。
2006年1月27日には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共にモーツァルトの生誕250年を祝い、この模様はザルツブルクから世界にテレビ放映された。
レコーディング活動も1970年代より幅広く行っており、内容は古典的な交響曲やオペラのレパートリーから20世紀のコンテンポラリー作品にまで及んでおり、数多くの賞を受賞している。
芸術家としての社会的、市民的な意識は、騒然としていた過去や現代の歴史を象徴する様々な場所でのコンサートによって示される。これは、ラヴェンナ音楽祭のプロジェクト“Le vie dell’ Amicizia”(友好の道)の一環として上演された諸作品との関連の中で実現したものであり、これまでにサラエヴォ(1997年)、ベイルート(1998年)、エルサレム(1999年)、モスクワ(2000年)、エレヴァンとイスタンブール(2001年)、ニューヨーク(2002年)、カイロ(2003年)、ダマスカス(2004年)、チュニジアのエルジェム(2005年)で、ミラノ・スカラ座の管弦楽団・合唱団、フィレンツェ歌劇場のオーケストラ・合唱団、そしてヨーロッパの主要オーケストラのトップ・プレイヤーたちで構成された“ミュージシャンズ・オブ・ヨーロッパ・ユナイテッド”などが参加して行われた。
授けられた栄誉は数知れず、イタリア共和国からはカバリエーレ大十字勲章、ミラノ市からはGran Madaglia d’Oro、ドイツ連邦共和国からは功労十字勲章を授与された。フランスではレジョン・ドヌール勲章を授章し、英国ではエリザベス女王からナイト爵(勲爵士)の称号が贈られた。ザルツブルクのモーツァルテウムからはモーツァルトの音楽へ貢献に対して銀メダルを授与され、ウィーン宮廷楽団とウィーン国立歌劇場の名誉会員にも選ばれた。さらに、ロシアのプーチン大統領よりロシアの栄誉メダルが、イスラエルからはヴォルフ賞(芸術部門)が贈られた。また、イタリアをはじめ諸外国の数多くの大学から名誉学位を授与されている。
2010年からは、シカゴ交響楽団の音楽監督、またローマ歌劇場の首席指揮者へ就任することが発表されている。

リッカルド・ムーティ公式サイト  http://www.riccardomuti.com/

Photo:EMI Classics

指揮:リッカルド・ムーティ Riccardo Muti

ソプラノ:デジレ・ランカトーレ Desiree Rancatore イタリア、パレルモ生まれ。
幼少より、音楽教育を受け、いくつかのコンクールでの優勝を機に、1996年ザルツブルグ音楽祭の《フィガロの結婚》バルバリーナ役で、オペラ・デビューを果たす。本格的なイタリア・デビューは、パルマ王立歌劇場の1996/97シーズン・オープニングでの、《アルルの女》である。再び出演したザルツブルク音楽祭では、《後宮からの逃走》ブロンデをチャールズ・マッケラス指揮、スコットランド室内管弦楽団とレコーディングをし、モーツァルテウムでは、ユベール・スダーン指揮による数々のコンサートに出演している。その後、コヴェント・ガーデン王立歌劇場へ《ファルスタッフ》のナンネッタ役で、国立パリ・オペラ座へは《ホフマン物語》でデビューを飾った(DVDに収録)。
レパートリーとしては、《パルジファル》(フィレンツェ、パリ)、《ホフマン物語》(カターニア、コヴェント・ガーデン、マドリッド、ウィーン、パリ、チューリッヒ、パレルモ、ローマ、パルマ)、《子供と魔法》(パリ)、《魔笛》(パリ、ローマ、カリアリ)、《後宮からの逃走》(ロンドン、パレルモ、バリ、マドリッド、イスタンブール)、《リゴレット》(ウィーン、メルボルン、サンフランシスコ、ラス・パルマス)、《ばらの騎士》(パレルモ)、《ランスへの旅》(ボローニャ、ジェノヴァ、ブリュッセル)、《ユグノー教徒》(マルティナ・フランカ音楽祭)、《火刑台上のジャンヌ・ダルク》(ザルツブルク)、《オリーヴ山のキリスト》(シンシナティ)、《ラクメ》(パレルモ、オヴィエド、東京)、《連隊の娘》(スカラ座)、《ランメルモールのルチア》(チューリッヒ、東京、オヴィエド、ボローニャ)、《愛の妙薬》(パリ)が挙げられる。
チョン・ミョンフン、ジェームズ・コンロン、チャールズ・マッケラス、リッカルド・ムーティ、ジョン・ネシュリング、レナード・パルンボ、ユベール・スダーンなど多くの著名な指揮者と共演している。ミラノ・スカラ座の改修後のこけら落とし公演となった、2004/05シーズン・オープニングでは、リッカルド・ムーティ指揮のサリエリ《見出されたエウローパ》に出演。
2007/08シーズンは、《愛の妙薬》(パリ・オペラ座)、《後宮からの逃走》(カリアリ歌劇場)、《ランメルモールのルチア》(オヴィエド・オペラ、ボローニャ歌劇場、チューリッヒ歌劇場)、シューマン《ゲーテの「ファウスト」からの情景》(パルマ王立劇場)、《ホフマン物語》(トゥールーズ・キャピトル劇場)、《リゴレット》(アレーナ・ディ・ヴェローナ)などに出演した。
2008/09シーズンは、《リゴレット》(パルマ王立歌劇場、同劇場北京公演、チューリッヒ歌劇場)、《愛の妙薬》(ピアチェンツァ、ボルツァーノ)、《ホフマン物語》(トリノ王立劇場)、《ランメルモールのルチア》(パルマ王立歌劇場、アヴニョン歌劇場)、ベートーヴェン《第九》(パレルモ・マッシモ劇場)、《鳥》(ロサンゼルス・オペラ)、《清教徒》(サヴォンリンナ、ラ=コルーニャ)に出演。
今後は、《リゴレット》(フィレンツェ歌劇場、カリアリ劇場)、《愛の妙薬》(カリアリ劇場、ベルガモ・ドニゼッティ劇場日本公演)、《小ミサ・ソレムニス》、《後宮からの逃走》《ドン・パスクアーレ》(パリ・シャンゼリゼ劇場)、《ばらの騎士》(ラス・パルマス)、《清教徒》(ボローニャ歌劇場日本公演)、《ランスへの旅》(フィレンツェ歌劇場)への出演を予定している。
《ばらの騎士》(パレルモ・マッシモ劇場/1998年)、《ファルスタッフ》(コヴェント・ガーデン王立歌劇場/1999年)、《ホフマン物語》(国立パリ・オペラ座(バスティーユ)/2001年、マチェラータ・オペラ・フェスティバル/2004年)が、CDやDVDとしてリリースされている。

デジレ・ランカトーレ公式サイト  http://www.desireerancatore.com/

ソプラノ:デジレ・ランカトーレ Desiree Rancatore

カウンター・テナー:マックス・エマヌエル・ツェンチッチ Max Emanuel Cencic 「ツェンチッチは今最も美しい歌声を持つカウンターテナーである」(2008年5月「オーパンヴェルト」誌)
ここ数年で現代のクラシック音楽界屈指のカウンターテナーに成長した。その歌声は専門家をはじめ、多くの聴衆を魅了してやまない。幼少時から歌のレッスンを受け始め、わずか6歳で初めて観客を前に歌った。1987年から1992年までウィーン少年合唱団に在籍し、その後ソロ活動を開始する。声変わりの後も特別な技術をもってソプラノのパートを歌い続け、1997年まで日本、アメリカ、ヨーロッパなどでリサイタルを開き、人気を博した。また、同時に数々のオペラにも出演している。デッカ・レコードのCD収録(1991年、ゲオルグ・ショルティ指揮)とウィーン国立歌劇場(ニコラウス・アーノンクール指揮)での《魔笛》では童子を、ウィーン・コンツェルトハウス(1995年)とスウェーデン・ドロットニングホルム宮廷劇場(1996年)でのグルック《オルフェオとエウリディーチェ》でアモーレを、ドイツ・シュヴェッツィンゲンとイタリア・クレモナで上演されたヨメッリ《デモフォンテ》ではアドラストを、デンマーク・コペンハーゲン(1996年)でのヘンデル《セルセ》では主役を演じた。2001年にはカウンターテナーに転向する。
最新作のCD『ファラモンド』(EMI/ヴァージン・クラシックス2009年3月発売)では、主役としてヘンデルの作品を見事に歌い上げている。その質の高い歌唱力はあらためて評価され、CDは発売後まもなくフランスのディアパソン新人賞と同金賞を受賞。2007年末にEMI/ヴァージン・クラシックスからリリースされたロッシーニのアリア集(ソロアルバム)も絶讃され、これまでにテレラマ賞、ポリン賞、オルフェオ・ドール賞などを受賞している。
2009年は世界有数の3つの歌劇場でデビューを飾る一年となる。まず、ブリュッセルのベルギー王立モネ劇場では、ヘルベルト・ヴェルニッケ演出の《カリスト》でサティリーノと第二の女神を務める(2009年2月・3月)。続いてバイエルン国立歌劇場でヘンデル《タメルラーノ》の主役を(2009年3月)、さらにドレスデン国立歌劇場で《エジプトのジュリアス・シーザー》のトロメオを演じる(2009年12月)。また、国立ボルドー・オペラ座ではリナルド・アレッサンドリーニの指揮でオットーネのパートを歌う(2009年6月)。そのほかにもアン・デア・ウィーン劇場(2009年1月)、ジュネーヴ大劇場(2009年3月)、東京文化会館(2009年4月)、パリ・シャンゼリゼ劇場(2009年10月/ディエゴ・ファソリス指揮、イ・バロッキスティ演奏《ファラモンド》)、ハンブルク・ライスハレ、アヴィニヨン大劇場などでのリサイタルをはじめ、さまざまな活動を展開させる。2010年春には、ウィーン国立歌劇場とマドリード・レアル劇場でのデビューが決まっている。
2007/08シーズンには、パリ・シャンゼリゼ劇場、ロンドン・バービカン・ホール、ニューヨーク・リンカーン・センター、フランス北西部のカーン劇場、ルクセンブルク大劇場、ロレーヌ国立オペラなどの舞台に立った。ウィリアム・クリスティ指揮のランディ《聖アレッシオ》では妻役を演じ、観客やマスコミの好評を博した。同作品は2008年春にEMI/ヴァージン・クラシックスからDVDが発売されている。さらに、ローザンヌ歌劇場では《こうもり》のオルロフスキー公爵を演じたほか、《ジュリアス・シーザー》のセストとしてもデビュー。トゥールーズ・キャピトル劇場では、《ポッペアの戴冠》でオットーネを演じた。ソロ活動にも積極的に取り組み、パリのサル・ガヴォ、オペラ・ガルニエ、トゥールーズのアール・オ・グラン、ミラノのクアルテット・フェスティバルなどでリサイタルを開いた。
芸術生活で大きな節目となったのは、何といってもコンラッド・ユングヘネル指揮のモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》でネローネを務めたバーゼル劇場での公演である。このネローネ役で、独オペラ・音楽専門誌「オーパンヴェルト」の2003年度新人歌手に選ばれた。また、2005年にはヴィヴァルディのセレナータ《アンドロメダ・リベラータ》のペルセオでニューヨーク・カーネギー・ホールでのデビューを飾った。同作品は日本のマスコミから2005年の年間最優秀コンサートに選ばれており、ドイツ・グラモフォンが録音している。
ヴィヴァルディとヘンデルの作品に造詣が深く、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場(《ジュリアス・シーザー》トロメオ/2007年)、スコティッシュ・オペラ(《タメルラーノ》)、バイロイトの辺境伯歌劇場(《忠実なニンフ》オスミーノ)、ブレーメンとトリノの劇場(《狂乱のオルランド》ルッジェロ)、パリ・シャンゼリゼ劇場(《ロドリーゴ》フェルナンド)など、数々の舞台に出演している。また、リスボン、ザンクトガレン、そしてイタリア・スポレトで開かれるジャン・カルロ・メノッティの《二つの世界フェスティバル》では、《カスティーリャの王フェルナンド》でサンツィオを演じた。同作品は、2007年1月にEMI/ヴァージン・クラシックスからCDが発売されている。
ウィリアム・クリスティ、ルネ・ヤコブス、オッタヴィオ・ダントーネ、アラン・カーティス、アンドレア・マルコン、クリストフ・ルセ、ギュンター・ノイホルト、ディエゴ・ファソリス、エドゥアルド・ロペス・バンゾ、コンラッド・ユングヘネル、クリストファー・モウルズ、リナルド・アレッサンドリーニ、ジャンクリストフ・スピノジなど、多くの指揮者と共に定期的にコンサートやオペラの制作などの活動を展開させている。
ケルン(ドイチュラントフンク室内楽ホール)、エッセン(フィルハーモニー)、ウィーン(楽友協会ホール)、バーデンバーデン(祝祭劇場)、ドレスデン(フラウエン教会)、ポツダム(サンスーシー宮殿劇場)、ヴィースバーデン、リスボン、ヴィテルボ、クレモナ、ライン・ドイツ・オペラ、パリ(サル・ガヴォ、オペラ・ガルニエ)、サンティアゴデコンポステラ、ロンドン(バービカン・センター)、アムステルダム(コンセルトヘボウ)、ミラノ、アヴィニョン、東京など、世界各地のコンサートホールをはじめ、アイゼンシュタット(ハイドン音楽祭)、ハレ(ヘンデル音楽祭)、ルートヴィヒスブルク音楽祭、サン・リキエ音楽祭、ユゼス音楽祭、サン・ドニ音楽祭、サン・ディジエ音楽祭、ボーヌ音楽祭、フロヴィル音楽祭などの、世界各地の音楽イベントで聴衆を魅了している。
ソロアルバムは、これまでにカプリッチョ・レーベルから『ヴィヴァルディ・アルバム』(2004年)、アントニオ・カルダーラの『カンタータ集』(2005年)、DVD付きドメニコ・スカルラッティの『カンタータ集』(2006年)などが発売されており、クラシックファンや評論家の間で好評を博している。中でもスカルラッティの『愛のカンタータ』(2003年カプリッチョ)は、仏音楽誌「クラシカ」の賞を受賞した。2007年以降、EMI/ヴァージン・クラシックスから作品をリリースしている。

マックス・エマヌエル・ツェンチッチ公式サイト  http://www.cencic.net/

カウンター・テナー:マックス・エマヌエル・ツェンチッチ Max Emanuel Cencic

バリトン:リュドヴィク・テジエ Ludovic Tézier 国立パリ・オペラ座オペラ学校で声楽を学んだ後、ルツェルンのオペラ・カンパニー、そしてリヨン国立歌劇場で活躍。《ドン・ジョヴァンニ》、《ラ・ボエーム》マルチェッロ、《カルメン》エスカミーリョ、《ナクソス島のアリアドネ》ハレルキン、《蝶々夫人》シャープレス、《真夏の夜の夢》ディミートリアス、《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵、グリエルモ、《愛の妙薬》ベルコーレ、《ファルスタッフ》フォードといった多彩なレパートリーをもってキャリアをスタートさせる。
トゥールーズ・キャピトル劇場は、定期的に出演しており、《ハムレット》、《エフゲニー・オネーギン》、《ドン・ジョヴァンニ》のタイトル・ロール、《タンホイザー》ヴォルフラム、《道化師》シルヴィオ、《真珠採り》ズルガなどを演じる予定である。また、国立ボルドー・オペラ座では、《皇帝の花嫁》グリャズノイ、リヨン国立歌劇場とパリ・シャトレ座の《ランメルモールのルチア》(フランス語版)アンリ・アシュトン役での出演も予定されている。
1999年からは、グラインドボーン音楽祭、ブラガンサ音楽祭、テル・アヴィヴのニュー・イスラエル・オペラ、ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ジュネーヴ大劇場など、著名な音楽祭や歌劇場に定期的に招かれている。2002年には、メトロポリタン・オペラへ、2004年には、リッカルド・ムーティ指揮《カルミナ・ブラーナ》でミラノ・スカラ座へ、ジュネーヴ大劇場へは《マノン》レスコーでデビューを果たしている。
パリ・シャトレ座では、サー・ジョン・エリオット・ガーディナー指揮による、《トロイ人》コレブ、チョン・ミュンフン指揮《タンホイザー》ではヴォルフラムを演じ、2004年にはオランジュ音楽祭に招かれ、《カルメン》(演奏会形式)エスカミーリョで、バーバラ・ヘンドリックスと共演した。
コヴェント・ガーデン王立歌劇場へは、アントニオ・パッパーノ指揮《ウェルテル》アルベルト、ウィーン国立歌劇場へは《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵役でデビュー。また、《ドン・ジョヴァンニ》を、ベルギーのワロニー王立劇場と、トゥールーズ・キャピトル劇場で再び歌い、国立パリ・オペラ座では《スペードの女王》のエレツキー公爵を演じた。
《ドン・カルロ》ポーサ侯爵(トゥールーズ・キャピトル劇場)、《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵(ウィーン国立歌劇場)、《エフゲニー・オネーギン》(ミラノ・スカラ座)、《ドン・カルロ》ポーサ侯爵(ストラスブール歌劇場)、《ランメルモールのルチア》アシュトン卿エンリーコ(ミラノ・スカラ座、国立パリ・オペラ座)、《タンホイザー》ヴォルフラム(ビルバオ歌劇場)、《マノン・レスコー》レスコー(バルセロナ・リセウ歌劇場)、《仮面舞踏会》レナート(国立パリ・オペラ座)、《愛の妙薬》ベルコーレ(コヴェント・ガーデン王立歌劇場)、《ウェルテル》タイトル・ロール(モネ劇場)などに出演。
最近は、《ラ・ボエーム》マルチェッロ(メトロポリタン・オペラ)、《ファルスタッフ》フォード(パリ・シャンゼリゼ劇場)、《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵(バルセロナ・リセウ歌劇場、ストラスブール歌劇場)、《ウェルテル》バリトン・バージョンでアルベルト、ウェルテル(国立パリ・オペラ座)などをレパートリーとしている。
今後は、《フィガロの結婚》アルマヴィーヴァ伯爵(ビルバオ歌劇場、国立パリ・オペラ座、マドリード・レアル劇場、メトロポリタン・オペラ)、《ウェルテル》アルベルト、《ラ・ボエーム》マルチェッロ、《エフゲニー・オネーギン》タイトル・ロール、《ドン・カルロ》ポーサ侯爵(国立パリ・オペラ座)、《シャモニーのリンダ》アントーニオ(コヴェント・ガーデン王立歌劇場)、《椿姫》ジェルモン(エクサン・プロヴァンス音楽祭)、《ランメルモールのルチア》アシュトン卿エンリーコ(メトロポリタン・オペラ)に出演予定である。
ヴァージン・レーベルからは《ランメルモールのルチア》、ラジオ・フランス・レーベルから、ミヒャエル・シェーンヴァントとの共演による、プッチーニ《ヴィッリ》とビゼー《イワン4世》が、リリースされている。

バリトン:リュドヴィク・テジエ Ludovic Tézier

管弦楽:東京春祭特別オーケストラ Tokyo-HARUSAI Festival Orchestra 今回の公演のために特別に結成されたオーケストラ。東京の主要なオーケストラの首席クラスのメンバーをはじめ、活躍しているプレイヤーを中心に構成されている。

合唱:東京オペラシンガーズ Tokyo Opera Singers 1992年、小澤征爾指揮、蜷川幸雄演出で話題を呼んだ《さまよえるオランダ人》の公演に際して、世界的水準のコーラスをという小澤氏の要望により、東京を中心に活躍する中堅、若手の声楽家によって組織された。当公演の合唱は圧倒的な成果を上げ、各方面から絶賛を受けた。
その評価により、同年第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本《エディプス王》、バイエルン国立歌劇場日本公演(ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮)《さまよえるオランダ人》に招かれ、再び高い評価を得た。
翌1993年から活動は本格化し、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(本年まで連続出演)」、「東京フィルハーモニー交響楽団主催コンサート」、「神奈川県民ホール主催オペラ公演」等を活動の中心に置くほか、ベルリン・コーミッシェ歌劇場、キーロフ歌劇場管弦楽団(ワレリー・ゲルギエフ指揮)、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(ユーリ・テミルカーノフ指揮)、イタリア国立放送交響楽団等の来日公演に出演、音楽界の活性化に大きく貢献することとなった。
1998年には長野冬季オリンピック開会式において、世界6カ国を結ぶ《第九》合唱で、中心となる日本側の演奏を担当した。1999年にはヨーロッパの代表的音楽祭の一つであるエディンバラ音楽祭に出演(東急文化村制作《トゥーランドット》)最大級の賞賛を得た。2000年、2001年とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演(小澤征爾、サイモン・ラトル指揮)、当団からも高い評価を得た。東京のオペラの森には、東京のオペラの森合唱団として第1回から連続出演。2006年、2007年に共演したリッカルド・ムーティ(ヴェルディ《レクイエム》他)からも高い評価を得ている。

児童合唱:東京少年少女合唱隊 The Little Singers of Tokyo 1951年故ポーロ・アヌイ神父と初代指揮者長谷川新一のもとに「ルネサンスの楽曲を日本の子供たちにも」と誕生。グレゴリオ聖歌から現代作品まで幅広いレパートリーを持つ。定期公演は年2回。その他、国内外のオーケストラ、オペラ劇場との共演等。1998年クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とマーラー「交響曲第3番」で共演し、また同年、ジャン・フルネ指揮によるフォーレ《レクイエム》をCD録音し好評を得る。海外公演は 1964年以来29回を数え、2000年にはルツェルン国際音楽祭における細川俊夫作品個展演奏会に出演。2007年台北文化教育基金会主催“春の合唱祭”に招聘参加。今年57回定期公演「Duo Seraphim」では2009年の記念年作曲家の作品を取り上げた意欲的なプログラムに取り組んだ。

東京少年少女合唱隊公式サイト http://www.lsot.jp/

合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ Roberto Gabbiani イタリアのプラート生まれ。フィレンツェのルイジ・ケルビー二音楽院にてピアノと作曲を学ぶ。
若くしてフィレンツェ歌劇場の招聘を受け、助手を数年務めた後、同歌劇場の合唱指揮者となる。フィレンツェ在任中はリッカルド・ムーティ、トーマス・シッパーズ、ジョルジュ・プレートル、ズービン・メータ、カルロ・マリア・ジュリーニ、ロリン・マゼール、カルロス・クライバーなどの著名指揮者と共に活動。 歌劇場の合唱指揮者としての活動と各地のオーケストラや合唱団への客演指揮を交互に行いながら、そのいずれにおいても大きな成功を収めた。
レパートリーは古典から現在に至るまで幅広い。1991年より、リッカルド・ムーティに招聘されてミラノ・スカラ座合唱団を指揮。ここでは、同劇場の全プログラム作成に携わる他、ミラノ・スカラ座管弦楽団やヴェルディ管弦楽団を指揮して、様々な大規模声楽曲のコンサートを行った。また合唱レパートリーを、ルネサンス、バロック、現代音楽の分野にまで拡張し、彼独自のバラエティ豊かなレパートリーを作り上げた。ミラノ・スカラ座合唱団の首席指揮者として数々のツアーも行い、ラヴェンナ音楽祭に関連して、サラエヴォ、ベイルート、モスクワでコンサートを開催。

■曲目解説

モーツァルト:交響曲第35番 二長調 K.385《ハフナー》
標題にある《ハフナー》とは、ザルツブルクの名門ハフナー家のこと。本曲は、同家の子息の爵位授与式のためにセレナードとして作曲され、のちに交響曲に改められた。ウィーン移住後最初のシンフォニーであり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)はこのとき27歳。オペラの作曲・編曲やコンスタンツェとの結婚など、多忙をきわめるなか書かれた曲だが、「火のように激しく」と作者自身が語った第1楽章を筆頭に、非常に華やかで充実した内容を備えている。

オルフ:世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》
カール・オルフ(1895-1982)は、ヒンデミットなどと並んで、20世紀のドイツを代表する作曲家。《カルミナ・ブラーナ》は、三部作のカンタータ《トリオンフィ(勝利)》の一作目にあたり、1937年にフランクフルトで初演された。興味深いのはスコアに記された副題で、「楽器の伴奏を持ち、舞台場面で補われる独唱と合唱のための世俗歌」とある。つまり、作者の意図にそって上演しようとすると、大管弦楽に加え、(衣裳を付けた!?)歌手や合唱団、さらには歌の内容をシンボリックに表現するバレエ(!!)が必要となるのである。こうした点からも《カルミナ・ブラーナ》は、オルフの出世作にして代表作であると同時に、舞台芸術の新しいかたちを提示しようとした実験的な劇場音楽とも考えられる。創作に際してオルフは、「簡潔な形式や和声」「単純なリズム」「主題を展開させることなく反復する」といった(決して複雑ではない)手法を駆使して、人間の原始的・野性的な本質を音楽の前面に打ち出すことに成功した。



主催:東京・春・音楽祭実行委員会

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