HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2010/10/29

別格の傑作 〜グスタフ・マーラー《大地の歌》

許 光俊(慶應義塾大学教授、音楽評論家)

演奏家を燃え上がらせる音楽

 名曲中の名曲とも言えるような作品は、演奏のできふできを超越して、すごさを感じさせるものである。バッハ《マタイ受難曲》、ストラヴィンスキー《春の祭典》などと並んで、マーラーの《大地の歌》も間違いなくそのひとつだと思う。

 もうずいぶん前のことだが、特にショパンの名演奏家として知られているピアニストのシプリアン・カツァリスにインタビューした際、「今までの演奏歴の中でもっとも感動的な体験は?」と尋ねたら、《大地の歌》(ピアノ版)のレコーディング・セッションだと答えたのには驚いた。ピアノを弾くために生まれたような人が、本来ピアノ用に書かれたわけではない作品を挙げたのである。それだけ尋常でない何かが、この曲にはあるということだ。

 こうした別格の傑作は、演奏家を燃え上がらせる。最初はそれほどでなくても、演奏しているうちについつい没入していき、最後には強いカタルシスに到達する。で、もともとすごい曲が、さらにいっそうすごく感じられることになるのだ。

《大地の歌》が愛される理由

 《大地の歌》は、マーラーが遺した決して少なくない作品の中でも特に昔から愛されてきた音楽である。なかなか理解されなかったうえに、時間的にも長すぎてレコードにしにくかったマーラー作品の中では、例外的に早くから日本でも知られていた。その理由はいくつも挙げられるだろう。作曲者晩年の作品だけに深い内容を持つ傑作だというのは当然として、それ以外にも、①具体的な意味の歌詞を伴っていること。ことにそれが漢詩であるため、昔の日本人にとって身近に感じられたこと。②フィナーレ以外の楽章は比較的短く、長大な交響曲に慣れていない人にも近づきやすいこと。③オーケストラの響きが華々しく、エキゾチックであること。④作曲者が死んでしまったため、初演は弟子のブルーノ・ワルターが指揮したが、彼が日本でも非常に人気があったこと。「弟子が師に代わって……」という美談として喜ばれた。

 今、中国の詩を歌詞にしていると書いたが、解説書を読むと、李白やら王維やら高校の漢文で習ったような詩人の作をもとにしていると記されている。とはいえ、マーラーが使ったドイツ語版は、正確な翻訳ではなく、原詩を適当にアレンジした半ば創作的なものである。つまり、19世紀ヨーロッパの常識の範囲内にあるような内容のものになっている。陶酔、悲しみ、美、孤独、別れ、放浪……こうしたおなじみのテーマは、私たちにもわかりやすい。

 これにマーラーは絢爛豪華なオーケストラを随伴させた。ズバリ、マーラーの作品中でもっとも巧妙かつ洗練されたオーケストラの音楽が聴けるのが、この《大地の歌》なのである。大管弦楽が、キラキラした輝きから陰鬱な霧まで、実にいろいろな響きをまき散らしつつ、退廃的な悲しみを奏でる。こんな音楽は、ありそうでいてなかなかあるものではない。また、マーラーは各奏者のやる気を刺激するようなすばらしい独奏部分をたくさん書いた。歌手もふたり登場する。演奏家どうしの競争心が働かないわけがない。こうしたことも、集中度が高い名演奏が生まれやすい理由のひとつである。

絶品の最終楽章

 全楽章がすばらしいが、わけても長大な最終楽章は、異常なまでに厳粛である。音楽が進むにつれ、コンサートホールに黄昏が訪れ、冷気が漂ってくるような気がしてくるほどだ。まさに最高の芸術作品ならではの特別な時間を強く感じさせるのである。この暗く悲しい音楽は、最後、意外にも明るく転じる。といっても、ギラギラした明るさではない。柔らかな春の陽光のような明るさだ。微笑むような肯定的なやさしい明るさ。絶品である。

 この最後の楽章で歌われる歌詞は、ふたつの詩をつないだもの。というと、作曲者が熟慮の末、選んで組み合わせたように思い込んでしまうのが自然。ところが、違うのだ。ふたつの詩は、たまたま詩集の左右のページに印刷されていたのである。だから、マーラーはごく当たり前に続けて読み、まとめてひとつの音楽にすることにしたのだ。むろん編者の配列がまったく無作為だったとは思わないが、半ば偶然によって、最後の「告別」楽章は生まれたと言っていい。芸術においてはしばしば偶然が大きな役割を果たすが、その好例だろう。

 ところで、この曲の題名は原語では“Das Lied von der Erde”という。残念ながら日本語の《大地の歌》という訳は、必ずしも最適ではないと付け加えておこう。「大地」の歌というと、大地あるいは地球が主人公になって語っているような印象を受けてしまうが、まったくそうではないのだ。曲名にあるドイツ語の‘Erde’とは、英語で言えば‘earth’である。確かに地球、大地、土を意味するのではあるが、一見してわかるように、この作品では、人生のさまざまな様子が描かれている。主人公はあくまでも人間なのだ。あれもこれもひっくるめた、現世あるいは地上での生活についての歌、もっとおおづかみにすると、人生についての歌なのである。といって今更、広く普及した曲名を変えるのも難しい。悩ましいところだ。

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