HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2010/10/18

指揮界の超新星 アンドリス・ネルソンス

文・岡本 稔(音楽評論家)


  • アンドリス・ネルソンス

指揮者への道

 アンドリス・ネルソンスは1978年11月18日、ラトヴィアのリガ生まれ。

 ラトヴィア国立交響楽団のチェリストを父として生まれ、合唱指揮者、教育者の継父から大きな影響を受ける。また、母はリガ音楽アカデミーの教授で古楽を専門としていた。音楽に囲まれた家庭に育ったネルソンスは、幼い時からピアノを弾くとともに、11歳からトランペットを学び、ラトヴィア国立歌劇場管弦楽団の奏者をつとめた。また卓越したバス・バリトンとしての能力も持ち、コンクールの入賞歴もあるという。5歳の時に《タンホイザー》を観て以来、指揮者となる夢を抱き続けてきたネルソンスは、それに向けた勉強も並行して進め、サンクト・ペテルブルクでアレクサンドル・ティートフに指揮法を師事、ネーメ・ヤルヴィ、ヨルマ・パヌラのマスタークラスも受講した。2002年からは故郷リガ出身の大指揮者マリス・ヤンソンスの教えを受けている。

 夢がかなったのは25歳の時。ラトヴィア国立歌劇場の首席指揮者に就任し、2003年から07年の在任中に《アイーダ》《トゥーランドット》《蝶々夫人》《スペードの女王》《ワルキューレ》といった作品を指揮した。

名門オーケストラの檜舞台

 2007年1月にはベルリン・ドイツオペラに《ボエーム》でデビュー、その成功を受けて《エフゲニー・オネーギン》の指揮も任された。2008/09年シーズンにはウィーン国立歌劇場で《トスカ》と《蝶々夫人》を指揮。オーケストラでは、バイエルン放送交響楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、ベルリン放送交響楽団、BBCフィルハーモニック、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ウィーン放送交響楽団、WDR交響楽団、北ドイツ放送交響楽団などへの客演で成功を収めている。

 2006年より、上岡敏之の後任としてヘアフォルトの北西ドイツ・フィルハーモニーの首席指揮者をつとめ、2009年までそのポストを守った。2008年9月にはバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任。これはサイモン・ラトルが25歳で就いたポストである。9月17日の就任披露演奏会では、ワーグナーの《リエンツィ》序曲、バルトークの《中国の不思議な役人》組曲、ベルリオーズの《幻想交響曲》というプログラムでバーミンガム市交響楽団の新しい時代の幕開けを宣言した。活動はきわめて高い評価を受けており、それはオルフェオ・レーベルからリリースされた3枚のディスクを聴いても明らかである。このオーケストラとの契約は2014年まで延長されている。

 2009/10年シーズンには、コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラ、メトロポリタン・オペラ、ウィーン国立歌劇場に出演を果たし、いずれも大成功を収めた。なかでもマリス・ヤンソンスの代役として《カルメン》を指揮したウィーンでは、伝説化されたカルロス・クライバーの演奏に比肩するという手放しの絶賛を受けている。

バイロイトから東京・春・音楽祭へ

 2010年7月にはバイロイト音楽祭でハンス・ノイエンフェルス演出の《ローエングリン》を指揮。31歳でバイロイト・デビューというのは、30歳でデビューしたロリン・マゼールにはわずかに及ばないものの、稀に見る快挙には違いない。

 2010/11年シーズンも破竹の勢いが続く。9月末にロンドン交響楽団に、10月にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にデビューを飾る。11月にはウィーン・フィルの日本公演の指揮者として初来日し、ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》をメインとしたプログラムを指揮する予定である。そして、来年の東京・春・音楽祭で《ローエングリン》を指揮、それが日本でのオペラ・デビューとなる。

 筆者が初めてネルソンスの指揮を聴いたのは2009年の2月、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団とのコンサート。R.シュトラウスの交響詩《英雄の生涯》一曲のみの短い演奏会だったが、その充実度には驚くべきものがあった。オーケストラ・コントロールの妙はすでに巨匠と呼ぶにふさわしい水準に到達しており、自然に劇的な高揚へと導く手腕にも惚れ惚れとさせられた。

 さらに大きな驚きをもたらしたのが今年のバイロイト音楽祭における《ローエングリン》である。第1幕前奏曲における透明で気高い響きは、バイロイトでも滅多に聴けない類いのもの。バイロイト祝祭劇場はオーケストラ・ピットに客席側から覆いがついた独特の構造をもち、その特殊な音響に多くの指揮者は苦労させられる。しかしネルソンスは、初年度からあたかも我が家のように音響の特性を把握し、歌手と絶妙な呼吸をはかりながら音楽を進めていく。ノイエンフェルスの奇抜な発想にもとづく演出に目を奪われがちな上演だったが、音楽の充実度でいえばクリスティアン・ティーレマンの《ニーベルングの指環》に肉薄する水準にあった。バイロイト・デビューの指揮者がこれだけの成果をあげた例は、近年では稀というべきだろう。

 「どのような作品でも、それがあたかも昨日作曲されたかのように響かせたい」と語るネルソンス。バイロイトでの演奏は、まさにそうした新鮮で瑞々しい味わいに満ちたものだった。東京・春・音楽祭で指揮する《ローエングリン》も、バイロイトとは一味違った感動をもたらすものになるに違いない。

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