HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2010/03/22

オルフ《カルミナ・ブラーナ》に寄せて

文・松下 耕(作曲家、合唱指揮者)

プリミティブで情熱的なリズムが、聴く者の心を捉える

 我が国において、あまりにも有名な世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》。この曲を作曲したのは、1895年に生まれて1982年に亡くなった、ドイツの作曲家にして音楽教育研究家のカール・オルフという人である。

 戦争の時代に生きたオルフが出会い、のめり込むほどの興味を抱いたのが、彼の住んでいた南ドイツのバイエルン州ミュンヘン近郊にあるボイレン修道院に所蔵されていた中世の世俗的な詩、そして歌集である『カルミナ・ブラーナ』(「ボイレンの歌」という意味)であった。これらの詩は、おそらく12世紀の遍歴学生や流浪僧侶によって書かれたもので、若者の恋愛や酒、女、賭博、パロディーといった反社会的、反宗教的な内容も多く、ラテン語で書かれた世俗詩の最も重要な資料のひとつであると言われている。

 オルフはこういった詩に、レジスタンスの持つ、強烈なエネルギーを感じとったのだろう。この写本に出会ってから、彼は猛烈な創作意欲をかき立てられ、300編ほどの詩のなかから24編を選び出し、約1時間の長大な合唱曲に仕上げた。

 戦争の時代だからこそ、こうしたテーマにのめり込んだ芸術家、そして教育者としてのオルフの動向・感覚を、同じ音楽家として私は容易に想像できる。強大な権力に対する抵抗と時代への不安。それを、オルフは世俗カンタータにし、同時期ハンガリーの作曲家、コダーイは宗教音楽で表現したのだ(《Missa Brevis》)。二人は、正反対の素材を使いながら、同じことを主張しようとした。作曲家は、時に文筆家より雄弁になれるものだ。

 しかしながらこの曲は、オルフの生きた時代のナチスの宣伝道具に使われた。オルフは、ナチスから距離を置こうとしていたにもかかわらず!

 音楽が政治的に使われてはならないという、高邁な思想を持つ音楽教育者なら当然持つべき主張を、もちろんオルフ自身も持っていたのだが、皮肉にもこの曲は全く逆の方法で世に出ていってしまったのだ。このことを、彼はどう感じていただろうか。

 ともあれ、1937年7月8日、西部ドイツのフランクフルトで《カルミナ・ブラーナ》が初演された直後、オルフは出版社の担当に「《カルミナ・ブラーナ》が、私の作品集の始まりとなる。これまでに私が書いたもの、あなたが出版してくれたものを、すべて捨ててくれないか」と語っている。それほど、この曲は彼の人生に衝撃的な変化をもたらしたのだ。

 その内容とは、どんなものだろう。

 約1時間にわたるこの曲は24の詩、25の曲に分けられており、全体は『初春に』、『酒場にて』、そして『愛の誘い』の3部から構成されている。

 演奏に必要な編成は、大混声合唱、小混声合唱、児童合唱、独唱(ソプラノ、テノール、バリトン)、小ソリスト群(2人のテノール、バリトン、2人のバス)、3管編成のオーケストラ(5人の打楽器奏者が必要)、ピアノ2台も必要とされる。

 この大編成により演奏される音楽は、原始主義的で、土俗的なリズムに満ち、スタイルは形式的にも和声的にも単純かつ明快である。合唱が担当するメロディーは、単旋律的で歌いやすく、長大なフレーズが少なく、誰もが理解しやすい。このあたりが、《カルミナ・ブラーナ》をポピュラーにした所以なのだろう。

 つまり、見た目が派手で豪華であり、プリミティブなリズムは絶えず情熱的で、聴く者の心を捉える。そして、時折見せる崇高な単旋律聖歌のような旋律は上品で気高く、それでいて難解ではないのだ。

 これまでも、多くのアマチュアオーケストラ、アマチュア合唱団、吹奏楽団がこの曲の演奏を楽しんできたわけだが、この曲はアマチュアの音楽愛好家でも容易に理解し、演奏できる寛大さを持っている。

 今回《カルミナ・ブラーナ》を巨匠ムーティの棒さばきと東京オペラシンガーズの合唱で聴けることは、間違いなく今年のクラシック音楽界・合唱界のエポックメイキングな出来事になるだろう。この作品は、情熱的なイタリア人に向いている。これまでも、この曲を多く指揮してきたムーティだが、東京の地で果たして日本人演奏家をどのように“料理”してくれるのか、興味は尽きない。

 東京オペラシンガーズの合唱も楽しみだ。この合唱団はその名の通り、メンバーそれぞれがオペラのソリストで構成される、プロの合唱団である。レパートリーは多岐にわたるが、『カルミナ・ブラーナ』のような大編成のオーケストラに拮抗できる力を必要とする作品は、お手のものだろう。児童合唱を担当する東京少年少女合唱隊も、日本のみならず世界で活躍する、日本を代表する高いレベルの児童合唱団だ。

 これらのすばらしい布陣で、世俗ラテン語を堪能できるとなれば、合唱ファンならずとも足を運びたくなるだろう。ラテン語といえば、教会音楽をまず連想するが、世俗的な内容でラテン語による合唱曲を聴くことができるのは、とても貴重だ。

 誰もが容易に理解できる20世紀の傑作《カルミナ・ブラーナ》を、この春、皆さんの耳と目で楽しんでいただきたい。

春祭ジャーナルINDEXへ戻る

ページの先頭へ戻る