HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2010/03/20

ウルフ・シルマー 《パルジファル》を語る

聞き手・城所孝吉


快癒を物語るオペラ

―《パルジファル》の物語は、キリスト教の伝統がない日本人には、なかなか分かりにくいものです。
シルマー 私は《パルジファル》の物語を、シンプルに捉えたいと思います。というのは、キリスト教の教義、あるいはワーグナー自身が考えたキリスト教のあり方―それは本来のものからは逸脱しているのですが―を考えていくと、きりがなくなるからです。オペラは最初の1小節目から、「快癒」、つまり健康になることを語っています。それは個人のレベルから、共同体、国家、歴史のレベルに至るまで、様々な段階で象徴的に表現されています。出発点となるのは、“人間が罪を犯し、心に傷を負う”ということです。つまりアムフォルタスのことですが、これは実は誰にでも起こることです。というのは人間が過ちを犯すのは、日常的なレベルでも、ごく当たり前のことだからです。しかも悪いことをしようと思って間違いを犯すのではなく、意図せざるところで誤った行動を取ってしまう。アムフォルタスにしても、良かれと思ってしたことが失敗につながり、その罪ゆえに苦しんでいます。

―アムフォルタスは、聖杯騎士を誘惑するクリングゾルを征伐しようとして、逆にクンドリにたぶらかされ、聖槍を奪われてしまいました。彼は、聖杯王としての職務を全うできなかったことに、激しい羞恥心を感じています。さらに過去の罪悪のために聖杯騎士になることを拒否されたクリングゾル、十字架上のキリストをあざ笑ったために救いを失ったクンドリも、深い罪意識に悩まされています。
シルマー これに対しオペラ全体は、ハッピーエンドで終わります。病んだ個人であるアムフォルタス、そして彼が代表するモンサルヴァートの聖杯騎士たちは、救い主によって救済されるのです。これはシンプルであると同時に、たいへん深い思想です。この救い主は、キリスト教徒にとってはイエス・キリストを意味します。ワーグナーはそのキリストの役割を、パルジファルという人間によって描いています。

―本作においては“同情”が大きなテーマとなっています。(キリスト教における)同情とは“魂は他人に苦しみを理解してもらえた時に救われる”という思想で、パルジファルはその同情を与える存在です。
シルマー 彼が救い主となり、人々を癒すことができるためには、その苦しみを本当に理解できなければなりません。パルジファルは最初、何も知らない“無垢な愚者”として登場します。殺生することの罪深さを知らないため、白鳥を撃って殺し、聖杯騎士たちを驚かせるわけです。しかし彼は、徐々に真の人間、あるいは聖なる存在へと成長していきます。その端緒となるのが、白鳥についてのグルネマンツの叱咤です。パルジファルは諫めの言葉から、白鳥の苦しみ、命の尊さを知ります。そして次に、クンドリによる母ヘルツェライデの物語から“子を思う母親の悲しみ”を理解します。しかしクンドリが今度は女性として彼を誘惑し、熱いキスを与えると、それこそがアムフォルタスを不幸に陥れたものだと直感します。つまり彼はここで、アムフォルタスの苦しみを理解できるようになります。そして自分の感情(性欲)を乗り越えて、クンドリの誘惑を拒絶するのです。救い主としての自分に目覚めた彼は、人々の苦しみを苦しみぬこうと修行を重ねますが、その内的な苦悩は、第3幕への前奏曲で表現されます。そしてそれを克服した後、グルネマンツとクンドリの前に“完全な人間”として再登場するのです。

―マエストロが“聖者”ではなく、あえて“完全な人間”と言われたのが気にかかりますが。
シルマー それはワーグナーがここで、パルジファルをキリストと同一視しているからです。しかしその見方は、キリスト教の教義とは相容れません。というのはパルジファルは、キリストその人ではないからです。アムフォルタスにせよ、クンドリにせよ、人類のために自己犠牲(磔刑死)したキリストよって、すでに救済されています。つまり第2のキリストは、教義的に必要ありません。先ほど“ワーグナー独自のキリスト教観”と言ったのはこのためですが、“彼の”救世主は、パルジファルの姿で人々を苦しみから解放するのです。

―ワーグナーは、なぜこのようなテーマをオペラにしたのでしょうか。
シルマー “救い”というモチーフは、晩年のワーグナー自身の心境そのものであったと思います。彼の最後の10年間は、コジマと結婚して子供をもうけるなど、それまでの波乱万丈の人生を離れ、安らかな大成の時期へと移っていきました。《パルジファル》におけるハッピーエンドも、そうした状況と重なってくるのではないでしょうか。いずれにしても《パルジファル》は、単に宗教的な意味ではなく、広い意味での「快癒」あるいは「癒し」を問題にしていると思います。それは、何よりも音楽に強く表われていますので、キリスト教徒でない日本の聴衆にも十二分に実感していただけるでしょう。


(プロフィール)
ウルフ・シルマー Ulf Schirmer
ドイツ生まれの指揮者。ハンブルク音楽大学でシュタイン、ドホナーニ、リゲティらに師事。マンハイム国民劇場での仕事を皮切りに、ウィーン国立歌劇場へ。その後、ベルリン、ドレスデン、ミラノ、ザルツブルク等の歌劇場・音楽祭に登場。2006/07シーズンからミュンヘン放送管弦楽団の芸術監督、09年8月ライプツィヒ歌劇場の音楽監督に就任。ドイツ・オペラ、特にワーグナー、R.シュトラウス、ベルク、シェーンベルク等に対する造詣が深い。

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