HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2015/04/08

アーティスト・インタビュー
~レナート・バルサドンナ(ベルリオーズ《レクイエム》合唱指揮)

東京・春・音楽祭2015のフィナーレを飾る『ベルリオーズ《レクイエム》~都響新時代へ、大野和士のベルリオーズ』公演のため、レナート・バルサドンナ氏が来日中です。イタリア出身の氏は、英国コヴェント・ガーデンにて、ロイヤル・オペラ・コーラスの合唱指揮を10年務めてきた重鎮。東京オペラシンガーズとの初リハーサルを終えた翌日、お話を伺いました。


東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.2 ベルリオーズ 《レクイエム》
〜都響新時代へ、大野和士のベルリオーズ■


バルサドンナ先生.jpg clm_q.png 今回は大野和士マエストロからのご推薦で、合唱指揮者として来日いただきました。

大野さんとの出会いは2002年、彼がブリュッセル・モネ劇場の音楽監督に就任した折です。当時、私は同劇場の合唱指揮を務めていましたので、大野さんと2年間、仕事を共にしました。その間にはベルリオーズの《レクイエム》も取り上げています。《レクイエム》はブリュッセルでの公演のみならず、アムステルダムのコンセルトヘボウでの引っ越し公演にも携えて行った楽曲で、いずれも素晴らしい演奏でした。今回、東京・春・音楽祭で《レクイエム》を指揮するに当たって、大野さんが私のことを思い出して下さったのは、あの時の成功を覚えていらしたからだと思います。桜の季節に来日できたことは幸運です。

clm_q.png 昨夕は東京オペラシンガーズとの初リハーサルにのぞまれました。

実に優れた合唱団ですね!何より、歌い手全員が意欲と向上心に溢れています。
《レクイエム》はあらゆる点においてチャレンジングな作品です。まず、編成。オーケストラは巨大ですし、さらに、複数のブラス隊を会場中に配して呼応させるというアイデアを、ベルリオーズが初めて採用した曲でもあります。これと同様、合唱の書法も極めてチャレンジングです。それはオーケストラの大音量に声で「対抗」することだけにとどまりません。劇的な「コントラスト」をいかに最大限、表現できるかということを、歌い手が求められている作品なのです。例えば、声のボリューム。最も大きな音量から、ほとんど聴こえない様な極めてソフトな音量までを、丁寧に歌い分けねばなりません。

clm_q.png 歌手にとって、音量以外ではどのような点がチャレンジングなのでしょうか?

テクストです。ベルリオーズはラテン語の「レクイエム」の定型文を、まるでオペラの台本の様に書き直しています。その意味で私は先ほども「劇的」という言葉を使いました。ベルリオーズは、当時としては異例なやり方で「レクイエム」のテクストを自由に改変していますが、これに伴う和声進行もまた、異例です。そこから、この作品固有の輝かしさが生まれています。あるいは、「死」といった恐れを抱かせる言葉の数々が、ドラマティックに・特徴的に音楽化されています。こうした、テクストとハーモニーの組み合わせの妙には目を見張るものがあります。合唱団は、スコアに散りばめられたこの様なアイデアに対して、機敏に・繊細に反応する必要があるのです。
合唱指揮者としての私の使命は、この素晴らしい作品を再現するために合唱団を導くことだと思っています。リハーサルでは、皆が「ベストを尽くしたい」という強い想いを持って私についてきてくださっていると感じました。

clm_q.png 私もリハーサルを見学しましたが、妥協は一切せずに正確にスコアを再現しようとするバルサドンナ先生の姿勢に感銘を受けました。

それは私の自己満足のためではなく、純粋に作品のためです。《レクイエム》には極端な声楽書法が散見されます。例えば、ソプラノに非常に低く歌わせてみたり、反対にメゾのパートを異常に高く書いていたりします。声の通常の限界、歌い手が快適に歌えるゾーンを越えるように促す作品なのです。《レクイエム》はまた、初期ロマン派の時代の作品であるのに、特徴的な半音階や、斬新な和声進行が用いられています。演奏者に、新しい音楽の領域で冒険をさせる作品です。ですから準備も入念に行わなければならないのです。

clm_q.png ベルリオーズはあまり熱心なカトリック信者ではなかったと言われていますが、バルサドンナ先生は宗教曲としては、この作品をどう捉えているのでしょうか?

ご質問に答える前に、この作品が生まれた背景を思い起こす必要があるでしょう。ベルリオーズが《レクイエム》作曲に当たって、最も意識していたのは初演の「場所」、パリのアンバリッド(廃兵院)です。あの巨大な建築物を最大限に巧く使うことを考えてサウンドが設計されています。これに当たって、ベルリオーズは16世紀のフランドル楽派やヴェネツィア楽派の作曲家たち ―モンテヴェルディを筆頭に― の宗教曲の音響設計を参考にしています。私が述べているのは、二対の合唱隊や二対のオルガンが用いられている様な作品のことです。
教会に定期的に通っていたか、といった様な視点から見れば、ベルリオーズは「熱心な信者」ではなかったかもしれません。しかし私は、より広い意味で、この作品の宗教性/スピリチュアリティに強く心惹かれます。あらゆる種類の信仰を持つ人にとって ―そして特定の信仰を持たない人にとっても―、この作品は深く心に響きます。私たちはどこからきたのか、死後にどこへ行くのか・・・? どの様な思想を持ち、どのような立場にあっても、人間誰しもが対面するこうした問いを投げかけているのが《レクイエム》なのだと思います。

clm_q.png 《レクイエム》が壮大でゴージャスな作品である、というのは、先生にとって一面に過ぎないわけですね。

もちろん、聴衆として演奏に接すれば、「オー・マイ・ゴッド!なんて壮大なんだ!」と驚かされますし、それが作品の魅力の一つではあります。しかし演奏家として楽譜を丹念に読み込むと、もっと驚かされることがあります。休符の存在、沈黙の存在です。冒頭でさえ、無の沈黙の世界から弱音で声が立ちのぼります。そしてすぐさま再び、休符が現れますね。ア・カペラの部分などもそうですが、弱音や沈黙の表現に深く心動かされる瞬間が多々あります。

clm_q.png オペラ/オーケストラの指揮者としても活躍なさっていますが、どのように合唱指揮と両立なさっているのでしょうか。お仕事に対する「こだわり」があられましたら、あわせてお聞かせください。

合唱指揮者になって早20年です。その間、レパートリーがかなり広がりましたし、モネ劇場やロイヤル・オペラ・ハウスなど、第一級のオペラ・ハウスで音楽作りをして来られたことは、幸運なことです。
実際に本番を振る指揮者の方々とは、常に率直な意見交換を行うよう心がけています。作品に対する明確なヴィジョンをもって合唱の準備に望むことが成功の鍵ですからね。大野さんや、現在ロイヤル・オペラ・ハウスでコンビを組んでいるパッパーノのほかにも、これまで、デイヴィス、マッケラス、ビシュコフ、ハイティンク、シノーポリ、バレンボイムなど、様々な指揮者から多くのことを学びました。バイロイト音楽祭でドイツ語作品のレパートリーを深めることができたことも素晴らしい経験であったと思います。
ここ3年ほど、オペラやオーケストラの指揮にも力をいれていますが、これは私の中で近年わいてきた芸術的欲求によるものです。一人の音楽家として、スコアの表紙をめくり、最初の一音から最後の一音まで、作品全体のヴィジョンを表現してみたい・・・その様な自然な欲求です。幸いにも合唱指揮者としてのレパートリーはかなり広いので、オーケストラ作品やオペラを指揮する際に、これまでの全ての経験が生かされるよう努めています。通常の公演指揮と合唱指揮とが、現在の私の中では自然に補い合っているのです。

― 今日は興味深いお話をありがとうございました。《レクイエム》での東京オペラシンガーズの活躍がますます楽しみになりました。

~バルサドンナ先生からのメッセージ(You Tube)~
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