HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/02/25

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
コルンゴルトって誰?

文・小味渕彦之(音楽学、音楽評論)
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 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)は、モラヴィアのブルーノ(現チェコ)に生まれました。4歳の時に一家でウィーンへと引っ越すのですが、これは音楽評論家として身を立てた父ユリウスが、高名な音楽学者で評論家のエドゥアルト・ハンスリックに招かれたからなのです。程なくしてハンスリックは亡くなり、ユリウス・コルンゴルトはその後継者となりました。ウィーンで最も権威ある音楽評論家として、長年にわたって活躍したのです。

 ウィーンで育ったエーリヒは、モーツァルトと同じ「ヴォルフガング」と名付けられた期待に幼年期から応え、「モーツァルトの再来」と言われた音楽的才能を発揮しました。1907年(10歳)には、父が懇意にしていたマーラーを驚嘆させたほどです。出世作となった《バレエ=パントマイム「雪だるま」》(1909年完成)speaker.gif[試聴] や《ピアノ三重奏曲 ニ長調 op.1》(1910年完成)speaker.gif[試聴] を始めとする、十代前半で手がけた作品の持つ完成度の高さは尋常ではありません。この時点で自己のスタイルを完成させているのだから、余りに早熟と言うほかないでしょう。

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 その後E.W.コルンゴルトは、代表作となった歌劇《死の都》(1920年完成)speaker.gif [試聴] などで成功を収める一方、オペレッタの編曲や指揮にも熱心に取り組みます。世情は不安定で、1930年代に入るとヨーロッパは深刻な金融恐慌に陥りました。ドイツではナチスが政権を獲得し、時代は闇の中へ突入して行くのです。1934年にコルンゴルトはアメリカに招かれました。ハリウッドで映画音楽に取り組んだのです。ここでもコルンゴルトは完成され尽くした自らのスタイルを変えることなく、フィルムに音楽を連ねました。《ロビンフットの冒険》(1938年公開)speaker.gif[試聴] と《シー・ホーク》(1940年公開)speaker.gif[試聴] が代表作です。コルンゴルトの音楽が持つ甘美な後期ロマン派の響きは、その後のハリウッド映画、中でも「スター・ウォーズ」speaker.gif[試聴] など数々の映画音楽を作曲することになるジョン・ウィリアムズに、大きな影響を与えました。



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