HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/03/08

桜の街の音楽会
〜歴史的建物で楽しむクラシック音楽

「東京春祭」が街角に飛び出して、みなさんに音楽をお届けする"桜の街の音楽会"。ここでは、建築に詳しいイラストレーターのなかだえりさんに、"音楽会"が開かれるスポットのなかから選りすぐりの4会場をご紹介いただいた。

文・なかだえり(イラストレーター)

旧吉田屋酒店

旧吉田屋酒店
(C)堀田力丸

(C)堀田力丸

 いわゆる谷根千とよばれるこのエリアには、お寺や古いまち並みがあちらこちらに残っている。まるで近代にタイムスリップしたような旧吉田屋酒店は、歴史を感じさせるどっしりとした佇まいで、このまちでも目をひく存在だ。もとは江戸時代より続く酒屋だったが、昭和61年、谷中6丁目から現在地に移築された。明治43年築の建物は、出桁だしげた造や、正面入口の揚戸あげと)など、その時代の商家建築の特徴を今に伝えている。また、はかり)・漏斗じょうご)・枡・樽・徳利・宣伝用ポスターや看板といった酒類の商いに関する資料は、吉田屋が所蔵していたもので、大正から昭和初期に実際に使われていた。当時の人々の暮らしがうかがい知れるようだ。

●台東区上野桜木2-10-6

カヤバ珈琲

カヤバ珈琲

 旧吉田屋酒店の斜め向かい、町家造りのカヤバ珈琲は、同時代といってよい大正5年につくられた建物だ。昭和13年の創業以来、約70年に渡って地域に親しまれてきたが、切り盛りしてきた奥様が亡くなり、やむをえず閉店。しかし、それを惜しんだ人たちが集まり、3年後の平成21年に復活した。何事もなかったかのように昔と変わらぬ外観や看板。店内に入ると椅子も昔のままで、テーブルは天板を付け替えて使用するなど、かつての面影がそこかしこに感じられる。さらに、梁や柱が見えるようにしたガラスの天井、厨房がモダンな雰囲気を加えている。名物メニューのルシアンコーヒーと、玉子焼きを挟んだタマゴサンドも受け継がれている。はじめてでも懐かしく感じる味とともに、ここにあり続けてほしいお店だ。

●台東区谷中6-1-29

台東区立黒門小学校

旧吉田屋酒店
(C)青柳 聡

(C)青柳 聡

 江戸の頃より現在に至るまで盛り場として栄えてきた上野。この辺りが西黒門町という地名だった明治43年に創立した黒門小学校は、その校舎にも歴史が感じられる。ここでは、大正12年の関東大震災の後に建てられた「復興小学校」が、当時のままの姿で使われ続けている。東京市のほとんどの学校が倒壊・焼失したため、都市計画の一環として鉄筋コンクリート造を用い、不燃構造で強固な校舎が100校以上つくられた。それらが復興小学校である。設計は東京市による統一規格だが、外観は独自のものとされ、それぞれに特徴がある。黒門小学校も全校舎が焼失し、昭和5年に再建された。広く街路に面した側の3階の窓が連続した尖塔形アーチになっており、正門部分の柱にも重厚なデザインが施されている。現在では、復興小学校も数少なくなり、大変貴重な存在といえる。

●台東区上野1-16-20

旧岩崎邸庭園

カヤバ珈琲

 政府のお雇い建築家として、日本にはじめて本格的な西洋建築をもたらしたのが、英国人のジョサイア・コンドル(1852-1920)。彼の作品のなかでも最高傑作と名高いのが旧岩崎邸洋館だ。三菱財閥三代当主・岩崎久彌(1865-1955)の本邸としてつくられた庭園内には、明治29年築の洋館、撞球室(ビリヤード場)、書院造りの和館の3棟が現存する。当初は今より広大な一万五千坪もの敷地に、20棟の建物があったという。主に岩崎家の迎賓館として使われた洋館は、17世紀の英国風のジャコビアン様式を中心に、ルネサンス、イスラム風などの様式が折衷されている。デザイン化された硬いタモ材の寄木床、ミントン社のタイル、マントルピース、ステンドグラス、金唐紙の壁紙、植物の図柄が施されたスチーム暖房機、細部の装飾に至るまで美しい。また社長の座を退いた久彌は、和館に住んで家族との暮らしを大切にしたという。

●台東区池之端1-3-45



~関連公演~
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